再生の季節のエネルギーに寄せて

<再生の季節のエネルギーに寄せて>

日ごとに近くの山が白や桃色や山吹色、若草色に彩られてゆく。
春の色は、なぜこうも柔らかいのだろう。

冬の間にはすっかり枯れてしまったかのように見えていた草木の根元から、
新しい芽が出て、大地が誕生のバイブレーションを発動し、
鳥や虫たちがそれに応えている。

茂り、実り、枯れて死に、そして再生―春の女神の訪れは、
誰の心にも新しい息吹を吹き込むので、
それをキリストの復活と重ね、
イースターが復活祭とされたのも頷けること。


死と再生―それは自然界のことわりであり、
私たちは大いなる命題としてそれを生きています。

継続する時間を生きるとき、昨年から今年、昨日から今日、
そして今日から明日へと日々は続き、やがて「その時」はやって来ます。

移ろいに身を任せることは容易だとしても、
人にはそれを超えてゆく力が備わっている、
そしてそれは今まさに可能なのだと、覚者たちは語っています。

時間を超えた場所はいったいどこにあるのでしょう?


私たちが内側に入ることを学ぶとき、私たちは旅の出発点に立っています。

何千年も昔から、人はその旅に心惹かれ、試みてきました。
そうして、旅の足跡を数多くの緻密なマップとして残してきました。
エネルギー中枢としてのチャクラは、そのマップとしても使われます。

チャクラの中心に向かうとき、
私たちはあらゆるものの根源へと向かっています。

あらゆるものの根源、完全なる空、時間のないところ、
満ち満ちた無、あらゆる表現で語られてきたところへ。

そこでは、昨日の続きとしての今日はリセットされます。
何かを引きずってしまいがちな日々に、これはとても大きな意味を持ちます。

さらに生のエネルギーは、この中心からもたらされます。
無から湧きあがり有を生じるエネルギーを感じると、
それが全身を滋養し、活力が漲ります。


中心にかえる体験は、実は睡眠の中でも起こります。
寝て起きた後、すっきりして元気になるのはそのためですが、
睡眠中のこの体験は無意識の中で起きている。

覚めた意識でこの体験が可能になるとき、私たちは霊的な存在となり得ます。

霊長類ヒトは生物学的進化の頂点にあるかもしれませんが、
霊的進化はまだこれからだといわれます。

私たちは「スピリチュアル」という言葉を、
もっと真面目に考えてよい気がします。

時間の中で時間を超えて生きること、
毎瞬、常にあたらしく生まれること、
この、私たちが本来持つ可能性を探究してみましょう。


自分という存在に目を向け、周りの自然にも目を向けましょう。
なぜなら私たちは自然の一部なのだから。

今そこにある自然のバイブレーションに、肉体は、
そしてチャクラはどのように呼応しているでしょう?

萌の季節はどのような影響をもたらしているでしょう?
再生の季節の、この大きなエネルギーは、
どこに私たちを連れていくでしょうか? 

そう、マップを手にすること、チャクラを知ることの意味は、とても大きいのです。
https://essentiallifeconsulting.jimdo.com/

尾崎智子(ブーティ)