1月ももう半ば。
年明けて、日本はオミクロン旋風の只中にありますね。
さて、ご覧になったことがある方もいらっしゃると思いますが「100分de名著」というEテレの番組があります。
様々な名著を取り上げて100分で読み解いていく、面白い番組です。
1月3日に新春スペシャルとして、「100分deパンデミック論」という放送がありました。
4人のゲストがそれぞれ、このコロナ禍において読みたい本を一冊ずつ紹介するという趣向でした。
なかなかおもしろかったので、個人的に感じたことを書いてみようと思います。
4人のゲストは、経済思想家の斎藤幸平氏、政治学者の栗原康氏、英文学者の小川公代氏、作家の高橋源一郎氏です。
トップバッターの、斎藤氏の取り上げた一冊は、哲学者ジジェックの「パンデミック」です。詳しい内容を書いていくと、長くなってしまうので、あくまでも私が覚えていること、感じたことだけを、ここでは書こうと思います。思い違いもあるかと思うし、読み取りが浅いかもしれませんが、詳しい内容を知りたい方は、オンデマンドでご覧になるか、おそらくは、この放送、後にムック本になるのではないかな、とも思っています。
ジジェックでは、グローバル資本主義は限界に達していて、根本的な変化が必要であるということ。そこに、新しい形のコミュニズムが必要である、ということが述べられています。
映画のマトリックスやキルビルなども挙げながら、解説者の斎藤氏のことばでは、「すでに死んでいるゾンビ化した資本主義」を、それでも継続しようとする私たちの正常性バイアスにも触れています。人種差別や陰謀論などがこうして広がることも。
コロナ禍のような、このような状況の中では、人々の基本的ニーズの分配が必要だし、実際にワクチン接種や給付金など、限定的にコモンズ(共有財の分配)が行われていること。
新しい形のコミュニズムへ向けて、時代は舵を切るのでしょうか?
他にもラカンやフロイトの夢分析なども取り込みながら解釈がありましたが、無意識が見せる夢の辛い現実から目を背けるために、夢から目覚める、というパラドックスは、まさにマトリックスの世界ですね。
世界的に起きている格差や災害や政治、さまざまな問題を扱う視点が含まれていました。
ちょっと面白かったのは、高橋源一郎氏が、資本主義の果てに、私たちは何でもかんでも外注してきた。食べるものや住むところや使うもの、すべて外注、そして残ったのは仕事だけ! とコメントしたこと。
「外注をやめるっていうのもある」とポロリと言ったのが面白かった。
さて、お次は英文学者の小川公代女史が取り上げたバージニア・ウルフの「ダロウェイ夫人」。1923年のロンドンを舞台に、上流階級のクラリッサ・ダロウェイが夜会を開く一日を描いたもので、「意識の流れ」という手法を用いたモダニズム文学の代表作です。
最初はみんな、この本がなぜパンデミックと関係があるのか、訝しげでした。
ところが、このクラリッサがインフルエンザに感染していたということがあって、1923年のインフルエンザというとスペイン風邪ということになり、世界人口の3分の1が感染、第一次世界大戦の死者よりも死者数が多かったということを考えれば、小説の中に、やたらお墓が出て来たり、弔いの鐘の音が出て来たり、ということで、さりげなく描写されていることからの読み解きは、文学好きの私としてはかなり嵌りました。
そこでは、直立人(強者、為政者など)と横臥者(弱者、病人など)という構図が述べられ、現在の社会の格差、対立構図に照らし〈共感〉ということが出てきます。
栗原氏が言葉を挟み、話したことも面白かったです。
政治犯として牢獄に入っていた大杉栄が、迷い込んできたトンボを捕まえてやろうと、紐をつけた時、身体に電気が走って、「あ、俺は捉えられている!」と思ったということ・・・その体験が、大杉が社会的弱者と共にある活動を精力的に展開していくきっかけとなったということでした。
こうした共感のありかたを、瞑想しているみなさんは、すぐさま理解できると思います!
瞑想者というのは、もしかしたら、社会的構図においては、ここでいう横臥者に該当することが多いのではないでしょうか。
ヴァルネラビリティを生きるのを厭わないという意味において。
小川公代氏と高橋源一郎氏は、横臥者は想像の中で活動している、創造性とともにある、と言い、直立人が作ろうとするシステムと、横臥者が想像、そして創造しようとする、もう一つのかたちが、そこにはあるというわけです。
それでは、この横臥者が瞑想者であるとき、どのような現実、どのようなかたちが、象られる可能性があるのだろうか、と考えたりします。
みなさんは、そこにどのようなかたちを見るでしょうか?
瞑想者として、この混沌とした、時代の中の大きな転換期を生きて、どのような未来を見ているでしょうか?
感想をかき出したら長くなって、今回はここで終わりにして、後半は次回に回そうと思います。共感についても、また触れていきたいです。
ここまで読んでくださってありがとうございます。
2022年、どうぞ今年が平和で穏やかな年でありますように!
尾崎智子(Bhuti)
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