四季には色があり、5月の色はというと、
それは緑、と答えたくなります。
白や桃色や黄色の、やわらかな春の色を過ぎて、
新緑の鮮やかな季節です。
そして令和の世が幕を開けました。
春の色はやわらかく、春の訪れは楽しいもののはずなのに、
春はなにか、それだけではなくて、
いろいろなものが自由に乱れる、
そんな季節のような気もします。
桜が咲いて散り乱れるように、
そのどちらも含んでいる。
春は再生の季節。
死から再生へ、
そのどちらをも強く感じる季節であるのかもしれません。
新しい始まりは、古いものの終焉を含んでいる。
先日、第一チャクラの瞑想をしているときに、
気が付いたことがありました。
それは、ちょうど体調を崩していて、
その肉体のコンディショニングに関連する
カルマに気づきを向ける瞑想でした。
ここでいうカルマというのは、
過去に起きたことに影響を受けたまま
になっていることを指しています。
過去という時間に
囚われ捕まっていることから解放されるには、
カルマから自由になるには、
この過去‐現在‐未来という時間から抜け出し、
時間のないところ、
つまり〈いま・ここ〉に繋がることが必要です。
この〈いま〉というのは、
時系列の現在を指しているのではありません。
〈いま〉は常にここにあります。
春には、体調を崩すことの多い私です。
花粉症があることで呼吸がどうしても浅くなり、
鼻や目にも症状が出るのでストレスがかかってしまうのです。
季節性の体調不良を改善すべく、
食事に気をつけたりしてはいるものの、
春はまた、仕事上の、
いろいろと新しい準備もしなければならないことが多く、
どうしても就寝時間が遅くなりがちです。
そんな体調を抱えて行った第一チャクラの瞑想の中で、
カルマに関するエネルギーを見たときに、
〈死〉というテーマが見えました。
それは、まず〈母の死〉に関連していました。
2年前の5月に母が他界しました。
3月4月と、体調に急変が見られ、
どこかで死と向き合う準備をしていた、
ちょうどその季節は春でした。
毎年3月4月と花粉症に悩まされますが、
この2年程、いつもと違う形で
体調の変化が強く出るようになっていました。
自分では全く気が付いていませんでしたが、
そこには、母の死に直面する体験からきた、
過去からのエネルギーの影響が大きくあったのです。
ずっとずっと奥にある、
それは動物的な死への感覚であるようにも感じられました。
掴むほどはできないけれども、
それは〈死〉に向かって
ほんの少し手を伸ばした体験でした。
おそらく母と子は、
もともとひとつの身体であったゆえに、
生理的影響、肉体のエネルギー的影響を、
直に受けるのではないでしょうか。
母の死の影響は、
私の第一身体のエネルギーの中に強く残っていました。
この肉体、第一身体のエネルギー、
その身体の探究にあって、
〈死〉という命題はどうしても
やって来るものなのだとも思います。
このタイミングにあって、少しだけ、
この大きく重要な命題に向かい合う
準備ができたのかもしれません。
時系列を離れて、
〈いま・ここ〉にあって初めて、
私たちは本当に〈死〉というものを
知り得るのだと思いました。
「令和」を迎えた今、
この命題に向き合ってゆくことを
自分に約束しました。
それはつまりは、
より〈いま・ここ〉にいるということです。
新しい始まりと、古いものの終焉、
死と再生、
そのサイクルの中で〈いま・ここ〉にあることを。
5月、みなさんは、
どのような始まりを迎えていらっしゃるでしょうか。
緑あふれる5月、
私たちみなを包むこの世界が、
どうぞいつも平和で穏やかでありますように。
尾崎 智子
https://essentiallifeconsulting.jimdo.com/
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