8月6日の広島から

8月6日の広島からです。

猛暑続きの毎日でしたが、今年は小雨の中の平和式典、
参列の方々にとっては凌ぎやすかったでしょう。

広島市に住むまで、原爆投下は、私にとって過去の出来事でした。
でも、この地に住むと、それがまるで違うのです。

一年中、平和、原爆、核、
そうした言葉を耳にしない日はないのだから。

それは、他のどの場所とも違います。
ここにいると、肌身でもって、あの日の出来事は過去ではなく、
今に続いている出来事なのだと、ひしひしと感じるのです。

原爆記念公園は広島市の中心部にあって、
多くの人が行き交う通りに面しています。

デパートやショッピングモールが近くにあるし、
県庁も近くにあります。

普段の日々の賑やかな営みが、そこにあって、
そして記念公園の中にある資料館などに一歩足を踏み入れると、
そこには止まった〈あの時〉が、そこにあります。

ここにいて、あの日と現在の、その両方を想うときに
「時間」というものの不思議さを思います。

午後、仕事の合間に行った、教室のすぐそばにある被爆建物では、
平和と美術と音楽の催しがあって、
ちょうどネイティブアメリカン・ホピ族のアーティストたちと、
アリゾナを中心に、世界各国で演奏活動をしている、
日本人のアーティストの、圧巻のパフォーマンスが繰り広げられていました。

その後では、ウクライナの女性による、
美しい民族楽器の音色と歌声が響きました。

ホピ族たちの住む大地からウランが採取され、
ヒロシマ・ナガサキに原爆は投下され、
そしてチェルノブイリの悲劇があり…。

歌、祈り、それは時を超え場所を超えて、
傷を癒そうと共鳴し、振動するのです。

その振動は、過去から現在に続いて、
水平に流れる〈時間〉から、
私たちが少し浮上するのを助けてくれるようです。

どんなに、過ちを繰り返さないと誓っても、
この〈時間〉に囚われて生きている限り、
それは難しいであろうと思います。

被爆者の平均年齢は80歳を超え、
その語りを継承する動きがあります。

また、高校美術部の生徒が、
被爆者の体験を絵に描いて残そうとしています。

ストーリーを聴く時、継承者は、その痛みもまた継承するのです。

過去のあの日の出来事は、もう終わってしまった、
過ぎ去ってしまった過去ではないこと。
現在は、その過去から続いていること。

ここ広島では、そんな時間の不思議を日々感じるのです。

水平に流れる時間を超えて、垂直の時間へとシフトして、
永遠の〈今〉を生きることを学ばない限り、
本当の平和を掴むことはできない。

それは瞑想を通してしか叶わない…。

たったひとつの希望が、ここにあります。

尾崎智子
https://essentiallifeconsulting.jimdo.com/