そして人々は家に留まった

新型コロナウィルスのニュースに、あれやこれや心が彷徨ってしまいがちな今日この頃ですが、皆さんはいかがお過ごしでしょうか?

ヨーロッパやアメリカの友人からは、本当に大変な様子が毎日伝わってきます。

日本も、これからどうなるのか、本当に気がかりな状況です。

当たり前だと思っていたことが、突然そうでなくなる、まるで、まどろんでいる私たちの顔に冷や水を浴びせるような出来事、そのとき、私たちは何を思っているだろう?

様々な思考や感情が渦巻いて、時には乗っ取られてしまうこともあるかもしれません。

命に係わる不安、仕事を失うことへの不安、先の見えない不安、大きな不安が世界を覆っているようにも感じられます。


有難いことには、私たちは、不安を始めとした感情や思考に、ちゃんと向き合うことができるようにできています。

これまでに、ハート瞑想をしたことがある人なら、それを体験として知っているでしょう。

私たちのハートは、そうした感情や思考をすべて、あるがままに含んでいくことができる、広いスペースを持っていて、ハートに抱かれた感情や思考は、前よりも穏やかになり、私たちに与える影響も和らぎます。

このような時こそ、是非、ハート瞑想を始めてください。

本当に、それは役に立つのです。

時には、乱れた感情が大きすぎて、とても手に負えないように思うこともあるかもしれない、

それでも、少なくとも、それと「共にいる」にいるとき、私たちは〈今・ここ〉にいて、自分自身と繋がっていて、自分以外の何かに振り回されてはいません。

この体験は、私たちを強くします。

そしてまた、この状況の中で見える希望があるでしょうか?
失うことへの不安に対して、どんな失わないものを見ているでしょうか?

幸い、新型コロナウィルスは、深い意味で、私たちが、本来の自分であることを奪うことはできません。

それは命を奪い得るものであり、死への恐れは計り知れないものです。

それでも、死でさえもが奪い去ることができないものが、私たちの中にはあると、覚者たちは語り続けてきています。

これはとても大きな命題ですが、人の一生にただ一つ、確かなことがあるとすれば、それは、やがては死が訪れるということである以上、人生のどの時点かで向き合うことが求められます。

今日のような状況は、その一つの時点となるわけです。

そして、新型コロナウィルスは、私たちの中にある、様々な美しい本質、愛や信頼や勇気、自由や寛容さを奪うことはできません。

ですから、今こそ、こうした私たちの中にある美しい本質に繋がりましょう。

これまで、当たり前となっていた社会の流れが、ともすれば、他者を負かす競争からくる豊かさを追求してきたのだとしたら、それを、私たちの本質から変える機会なのかもしれません。

繋がり、受容的で、信頼と共にあり、分かち合う、そうしたことが当たり前となることへの転換期なのかもしれません。

それを選び可能にするのは、気づき、ハートを知り、本質を生きようとする、新しい人類なのだろうと思います。

ここに、フィリッチョフ・カプラ氏が取り上げたことなどで世界中に知られ、共感を集めている、一篇の詩があります。

アイルランド系アメリカ人の元教師である、キティ・オメアラさんの詩で、

自分自身の、パンデミックへの不安を癒すために書いた詩だということです。


そして、人々は家にとどまった

そして、本を読み、音楽を聴き
休み、運動し
アートを創り、ゲームをし
新しい在り方を学び、静かにしていた
そして、より深く耳を傾けた

ある人たちは瞑想し、ある人たちは祈り、ある人たちは踊った
ある人たちは、自分の暗い影に直面した

そして、人々は違った考え方をするようになった
そして、人々は癒された

そして、無知で、危険で、心ない
無慈悲な生き方をする人々はいなくなり、
地球は癒され始めた

そして、危険が過ぎ去り、再び人々が集いはじめると
彼らは失ったものを嘆き
新たな選択をし、新たなイメージを夢見て
自分たちが癒されたように、地球を完全に癒す

新しい生き方を生み出した。

And the people stayed home  by Kitty O’Meara

私たち一人一人がハートと内なる本質に繋がり、
癒し癒され、
これからの、よりよい世界を創造してゆけますように。

尾崎智子