東京オリンピックの延期が決まり、東京では小池知事が新型コロナウィルスの感染爆発の可能性について言及しています。
イタリアをはじめとするヨーロッパやアメリカも実際に都市封鎖や国境封鎖を行い、今や、世界全体がこのウィルスの感染の可能性におびえているように見えます。
このような状況の中で適切な情報を得ようとしてインターネットの中に入りこんでいくと、逆に情報の渦の中に巻き込まれてしまうように感じます。
このブログを読まれている方の中にも、このような状態に気づいている人もいるかもしれません。
そして自分に戻ってくる時間としての瞑想をしようとしても、なかなかいつものようには落ち着いて自分につながれないということが起こっているかもしれません。
外側で起こっている状況にあまりに気を取られ、飲み込まれるようにさまざまな情報に浸かっていると、
自分の意識のありようが、今ここにゆったりと深く存在することから、頭の中で激しく動き回るマインドの渦の中に飲み込まれている状態に移行していきます。
頭が熱くなったり、頭痛がしたり、いつにもまして思考の流れの中に自分がとらわれてしまっていることに気づくかもしれません。
そうなると、普段通りに瞑想をしようと思っても、思考の流れに引っ張られ、ただいまここにくつろぐことが難しくなります。
こんなときにこそ、ハート瞑想をして自分に戻りたいと思うかもしれませんね。
ハートは今起こっている状況がどんなものでも、それをただそのままで受け入れる働きがあると言われています。
そのように聞いているので、ハート瞑想をしようとするのですが、やはりそれも難しいと感じるかもしれません。
僕も一時、そんな感じになっていました。
ハートに入ってみても、マインドがまだ熱をもって活動していて、本当にはくつろぐことができませんでした。
胸のところにあるハートと頭の中で動いているマインドがふたつ離れたものとして別々に存在し、お互いに引っ張り合いをしているように感じました。
ところがそのとき、不思議なことが起こりました。
それは、一人の人が苦しんでいて、背後からやってきた友達がその人の肩にそっと手を置く、というイメージがどこからともなくやってきたのです。
そのイメージから、苦しんでいる人に対して何のジャッジもなく、そのままを受け入れ、ともにいる人のやさしさが感じられました。
そのイメージを見たときに、あぁ、ハートが来てくれたと感じました。
すると実際に、今まで頭とハートが遠くに隔てられ、引っ張り合いをしている感覚から、マインドはそのままで働いているのだけれど、ハートは自然にそれを包み込んでいるという感覚に変わったのでした。
マインドの熱はすぐには消えていかなかったけれど、それも含めてハートがすべてを包んでいました。
こうしてマインドが暴走し、自分にはそれがどうしようもできない、という感覚がなくなり、再び自分らしい感覚にもどることができました。
ハート瞑想の先生の一人、プラサードが言っていたのを何度か聞いたことがあります。「ハートはマインドより大きい」と。
その通りでした。
ハートはマインドがどんな状態であろうと、それさえ包み込むことができるのでした。
私だけでなく、今回起こっているような状況の中でハートに戻ろうとしてもなかなかうまくいかずにマインドの力に引っ張られてしまう、という経験をしたことのある人もいるかもしれません。
そんなときに、私の体験が役に立つと良いなと思い、今回ここに書くことにしました。
ここで大切なことは、ハートを使ってマインドを何とかしようとしないことです。
私も、長年ハート瞑想をしてきても、ハートのはたらきを使ってマインドをコントロールしようとしていたのでした。
ありがたいことに、ハート自体がやって来て、本来の姿を示してくれました。
皆さんもマインドが力をもっているとき、それから自由になるためにハートに入りたいと思った時には、ちょっと二人の友人を想像してみると良いかもしれません。
ひとりはとても苦しんでいる人、つまりマインドです。もうひとりはその人のことを少しもジャッジせず、愛をもって包む人、ハートです。ハートはマインドの背後から近づいて、その肩にそっと手を置きます。
その手には何の要求もありません。
ただ愛といつくしみをもって、大変だね、といっしょにいるだけです。
すると、内側で何かが変わります。
内側の雰囲気が、そこにある空気が変わるのです。
そのときこそ、こう言うことができるでしょう。
ハートはマインドより大きいと。そしてマインドもハートの中で安らぐことができると。
市場義人
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