Alvinaのコースを受けて、最終日に、
LalitoにSanmati、コースの感想を書いてみない?
と言われ、信頼に繋がっていた私は
不安ながらもやってみます!って言ってしまった。
子供の頃から文章を書くのは好きだし、
表現するチャンスだし、
何より信頼を試せる!なんて思っていた
のかも知れない…いや、思っていた。
コースの中日に、コース外の事で
信頼を試されてるなぁと思う出来事があり、
完璧に常に中心にいるわけでは無いけど、
表層の考えや感情の層に居るより
中心に近寄って居る方が楽だなぁ…
なんて思いながら過ごした。
翌日、帰宅したら、ちょっとした事件が
家族の中で起きていて、
あーこれも信頼に試されてるなぁと
漠然と思う事が起きていた。
二週間程は、何とか信頼に繋がって
皆んなと生活できていたのだけど、
ある出来事をキッカケに、
ズドォンと落ちてしまった。
それは、子供の頃から持っている恐怖だった。
信頼したら裏切られる。
信頼したら傷付けられる。
あんなに素晴らしい3日間を過ごしたのに、
人がどうしようと、どう思おうと
自分の信頼は傷付かない。
傷付けられない。裏切らない。
裏切られない。
そう深く感じた筈なのに。
コースの中では、そんな感じで居れる。
Alvinaも皆んなも居てくれるから。
今、書いていて思うのは、
日常でそれを使う難しさ。
そして、私が実は何とか信頼に繋がろうとしてたこと。
頑張っていたこと。無理していたこと。
そこに充分な価値を与えてなかったこと。
寛げて無かったこと。
知らぬ間に必死になっていたこと。
自分をゆるく、欺いていたこと。
そして、それらに気付いていること。
書いていて気付いたけど、
中日の時の信頼試されてるな?
の、気付きから怪しかったんだ。
そうなろう。そうしよう。そうあろう。
それが信頼だから。
それが素敵だから。
その時、表層意識では気付いて無かったけど、
今思えば私、どこかでそう思ってたなぁ。
そもそも、信頼って試されないし、試せない。
書くとワラワラ本当の事が出てくる。
Alvinaのコースの中で、
確かに信頼の中心を感じることは出来た。
私の中にはそれは在る。
それはとても靭く、
やさしく私を勇気付けてくれた。
私の中にもそれは在る。
でも今、私はその外側のマインドや
感情の層に居る。
思いっきり飛び出てしまって、
チョピットしか中心に還れない。
コースの興奮覚めやらぬ、の時に書いていたら、
ステキ記事書けたかもだけど、
その実践の中で、真逆に振れてしまった
カッコの悪い私しか、今の私には表現出来ない
のだけど、それでいいな。
それがいいな。
と思う。
気付ける様になればなる程、
出来てないことに気付いて
自分をジャッジしてきた私だけど、
少しづつでも気付いている事を
お祝い出来るようになっている。
そのありのままの私を、
私は信頼して、
何度でも諦めず生きている限り、
また信頼の真ん中へとゆっくり還っていこう。
Sanmati
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