あるハート瞑想会での経験を参加者のひとりが
書いてくださいました。
「セッションでは、自分の核である
ハートにつながることができて、
内から湧き出てくる温かさを感じています。
私はそのままでOK.。
私はここにある」
この感想に多くの人の望みが表されているように思います。
ハートは誰もが無意識に望んでいるものだと感じています。
最近、いろいろな場所でハート瞑想をシェアする機会に恵まれました。
岩国、岡山、大阪、松本、東京などです。
そして面白いことに、それぞれの場所で、
参加される方々のバックグラウンドが違います。
あるところでは、主婦の方々が、忙しい家事や子育て、
仕事の合間を見つけて、駆けつけてくださいます。
あるところでは、毎回ハート瞑想会をするたびに参加
してくださる方々がいて、それぞれのテーマが深まり、
成長と呼ぶことができる動きが起こっています。
またあるところでは、瞑想を自分の生きる道として、
真剣に取り組んでいる人たちが参加してくださり、
深く自分の内側の気づきとつながります。
さらに別の場所では、すでにその地域で長年、自己啓発の
トレーニングを積んできた人たちが、今までの経験を
ハートという角度から見直し、再構成される機会になっています。
そして、そのすべての場所で、みなさんは、ハートという
素晴らしいエネルギーとスペースを発見するのです。
ハート。
私はハート瞑想会のたびに、なぜ自分が、
ハートが好きなのかを話します。
それはハートが7つのチャクラのちょうど真ん中にある
エネルギーセンターだからです。
でも、それだけの説明では、少し分かりにくいですね。
インドのヨガのシステムでは、人間には7つのエネルギーセンター
があると言われています。
これはちょうど虹の色にも似て、人間はこの7色の
すべてを生きることで、人生がカラフルで豊かになり、
生きるということの可能性をすべて満喫することが
できるのだと考えられています。
第1チャクラは、恥骨と尾骨の間にあり、
体の健康や維持に関係しています。
この中には、サバイバルに必要なことも含まれていて、
お金を稼ぐことや、食料を手に入れること(農業や狩猟)、
大地とつながることなども含まれます。
この体の中で生きていくという、素朴だけれども、
誰の手にも触れることができるリアルな肉体の世界です。
第2チャクラは、感じるはたらきです。
この世界に触れ、味わい、自分がそこに属している実感を
得るのは第2チャクラのはたらきによります。
それが人と人をつなげます。手をつなぐように、
私たちのエネルギーはつながるのです。
感情もこのチャクラのはたらきです。
フィーリング(感じる)のはたらきはエモーション(感情)
につながります。
私たちは多くの時間、感情的に反応しながらこの世界を生きています。
第3チャクラは、実現と関係しています。
この世界の中で自分が望むことを形にしていく。
そのための行動がこのチャクラから生まれます。
仕事では、このチャクラが元気よく働いていることが多いのです。
行動は外の世界に形を与えると同時に、
自分という存在にも形を与えます。
自分と他者の関わりが生まれます。
それが自我を形成することになるのかもしれません。
***
上に書いたことをまとめてみると、
普段のご自分の生活が浮かんできませんか?
このように下位の3つのチャクラは私たちが
日常生活を送っているとき、その大部分の要素を形作っています。
この3つのチャクラが元気よくはたらいて、
自分という存在がどんどん拡張していけば、
幸せに生きていけるだろうな、と感じませんか?
基本的にはその通りだと思います。
幸福感をエネルギーの広がりだと考えると、
エネルギーが縮んでいくよりは、広がっていく方が気持ち良く、
幸福な感じがしますね。
ところが、ここで問題が起こります。
それぞれのチャクラをオーケストラの楽器だと
考えてみましょう。
第1チャクラは、大地の音、土の香りがする楽器ですから、
ドラムとかコントラバス、低音が響くものが良いでしょう。
第2チャクラは、水のような性質です。
流れるような音色なら、ギターの音色やピアノも
一役買えるかもしれません。
第3チャクラは、火のエネルギーです。激しく、
声高なのは、トランペットかもしれません。
どの楽器も、それぞれの能力のかぎりを
表現しようとしているとします。
そしてどの楽器もほかの楽器について気にもせず、
自分だけが拡張しようとしているとします。
どうなるでしょう?
それぞれがあまりに違うので、もしかすると、
うるさいだけの雑音になってしまうかもしれません。
何かがまだ足りないのです。
ハートが必要になります。
ハートはちょうどオーケストラの指揮者のような
はたらきをします。
ハートのエネルギーは、私たちに調和を与えてくれます。
優しさや愛、喜びや感謝、ただそのままで良いという
受容の感覚、時には忍耐、そして許し……。
私が、ハートが好きなのは、
ハートは第3チャクラのちょっと上に存在し、
いつでも届くところにいてくれるからなのです。
そして、ハートに触れた瞬間に、私たちは、
そのままで良いのだと感じます。
そして今起こっているどのようなことにも、
それぞれの居場所を与えてくれます。
ハートにはすべてが入るスペースがあるからです。
このハートのスペースの中で、
下位の3つのチャクラはお互いどうしの間で調和し始めます。
それこそが、私たちが求めていたものかもしれません。
それぞれが元気に拡張しながら、同時に調和している。
ハートは、どの楽器も愛します。どのチャクラも、
その本来のはたらきのままでハートに愛され、
そのことがそれぞれのチャクラを成熟させるように思えます。
子供との間で苦しい思いをしてきたお母さんは、
ハートのスペースの中で、自分にも子供にも
そのままでいることを許すことができます。
そして思い出します。
もともとはそのままのこの子を愛していたのだ、と。
傾聴の技術を学んできた、カウンセラーを目指す皆さんは、
相手の言葉をひとことも聞き漏らすまいとして、
真剣に相手と対峙します。
そこにハートが加わったとき、
言葉の意味はそれほど大切ではなくなり、
ただ響きの中に相手の本質を感じ、
言葉は覚えていないけれど、相手とひとつになった、
相手が分かった、相手の存在を感じた、と報告してくれました。
何かがゆるみ、私たちの存在の本質である、
ひとつであることが2人の間を溶かします。
ハートから生活を見直すとき、私たちはすでに、
十分であることが感じられます。
そのままで良い、と。
そして私たちがしっかりと存在することが感じられます。
この存在の感覚は、自我を超えたものです。
肉体、感情、思考を超え、私たちは自分の中に定まります。
本当の中心が姿を表します。
これこそ、私が各地でハート瞑想をシェアしていて、感じる事です。
どのようなバックグラウンドであっても、みなさんは、
その中心を探しているのだと。
もう一度、最初に挙げた感想を引用したいと思います。
「セッションでは、自分の核である
ハートにつながることができて、
内から湧き出てくる温かさを感じています。
私はそのままでOK.。
私はここにある」
トーショー (市場義人)
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