母と娘のつながり Byブーティともこ

つい先日、ほぼ一年の闘病生活を経て母が旅立ち
ました。
 
80過ぎまで病気らしい病気もせずに、
自ら「よい人生でした」と、ありがとうの言葉を
周りに残しての最期でした。
 
容態が変わって意識が朦朧となり、
だんだんと変化してゆく呼吸を見守りながら、
この命をつないでいる橋掛けである呼吸の不思議
を目の当たりにして畏怖のようなものを感じてい
ました。
 
親子という特別な縁――母とは同性ということも
あってか、父とはまた違った関係性にありました。
 
 
母の引き出しからは昔の私と弟の母子手帳が出て
きました。
 
私は母の胎内に卵として生を受け、完全な繋がり
の中で滋養され、そして個として生れ落ちました。
 
母子手帳をみながら、胎児であったころに母が注
いだであろう母性愛を今も感じている自分がいる
ことに気づきました。
 
やがて成長とともに個としての人格が形成され、
母とは異なる考え方や感じ方を持ち、
私たちの価値観は大きく異なってゆきました。
 
それゆえに、私はありのままの自分がそのまま
受け入れられ愛されていないと感じ、
長く葛藤の中にありました。
 
母親はまた、完全に一体であったという不思議
から個となった後に生きるための糧をくれる第一
の存在であり、
 
母親からの愛をもらうことと生きることは
どうしても切り離せない事柄である以上、
母から否定されていると感じることから来る
自己存在の不安定さは、否応なしに深い内省に
私を導いていったようにも思います。
 
 
最近のUIのニューズレターに掲載されている
第2チャクラの呼吸、つながり、それらが最初に
経験されるのは、へその緒で繋がっていた母親と
の関係ではないでしょうか。
 
 
繋がり、愛を必要としていること、
そして同時に個として尊重し合えること―。
 
私たちが自分という存在への問いかけに意識的に
なり、表層の思考や感情と内奥にある本質の理解
をもって誰かと関わるということ、
 
それはあるがままの自分を生きるために
必要不可欠な条件だともいえます。
 
 
生存のために愛を必要としているという呪縛を
解くには、その愛の源泉が自らの中にあることを
発見すること――それは瞑想の旅を始めて間も
なく出会ったハートへの気づきの大切さの中で
知ったことでした。
 
若かったころ苦しかった母との関係は、
相互の考え方や興味や価値観が違うことは
そのままであったとしても、私の中で結び目が
一つずつ解けるにつれて変化してゆきました。
 
否定されたと感じる痛みと愛への枯渇が次第に
薄れていったからです。
 
 
最後の数か月、母は足に痛みがあり、よく擦って
いました。
 
ハートのプレゼンスから触れる、そのタッチを
母は気持ちいいと言ってくれて喜んでくれていま
した。
 
言葉を介せず、ただタッチを通して愛を交流して
いた穏やかな時間でした。
 
そしてまた、傍にいないときには電話をかけて
様子を尋ねたり伝えたり・・・言葉に乗せても
愛は行ったり来たりしていました。
 
今は手を伸ばしてその足に触れることは出来ず、
言葉をかけることもできないけれど――。
 
 
昨日のこと、今一緒にチャクライベントティー
チャートレーニングを学んでいるダヤから交換
セッションを受けました。
 
私たちはハートチャクラのトレーニングを受けて
いて、ハートの質である愛をどのように与えたり
受け取ったりしているのかに気づくエクササイズ
をガイドしてもらいました。
 
エクササイズに使った実際の状況は亡くなった母
との交流でした。
 
肉体としての存在がそこにない今、確かにそこに
ある愛をどのように与えたり受け取ったりして
いるのだろう、それを感じたいと思いました。
 
母を想うことで、愛を与え同時に受け取っている
自分がいること、そして与えて受け取る中で、
ふたたび私と母は重なっていました。
 
母の胎内にいたように、幼子として胸に抱かれて
いたように――そしてまた私も母を抱いていまし
た。
重なり、円環のなかで愛を与えて受け取り、
より大きな愛のエネルギーの中で私と母が重なっ
ていました。
 
肉体がなくなり、肉体と共にあった思考や感情を
離れて、存在のエネルギーの中に私たちはいまし
た。
 
それは決して失われない、いつでも開かれている
フィールドです。
 
母の旅立ち、それは私がこれからの人生を生きる
ことへの励ましです。
 
その日、深い感謝と共に手放しになって旅立てる
ように、と。
 
つい個人的なことがらを綴りました…。
読んでくださってどうもありがとうございます。
 
ブーティともこ 記
https://essentiallifeconsulting.jimdo.com/