生きるとは、次の瞬間に
何が起こるかわからないのだと目覚めると
「今ここ」
に起こっていることにもっと感覚が開くものです。
そこから直感を受け取ることできます。
昨年6月に大阪で起こった地震の時のこと、
その3時間後、私は関西空港に到着しました。
南海電車以外は、全ての交通機関が運行を
見合わせていて、リムジンバス乗り場周辺は、
スーツケースを持った人たちであふれていま
した。
南海電車で「なんば」まで出ても、その後が
わからないので、空港でバスの運転再開を待つ
人の長い列に並ぶことにしました。
「再開のめどは立っていません~」
という係の人の声が聞こえる中、とりあえず列
に並んで、周りの様子をうかがってみることに
しました。
スマートフォンで「どうしたら家に帰れるか」
必死に情報を探している若者たち。
戸惑う海外からの観光客らしき人たちもたくさんいて、
空港は騒然とした状況です。
でもその朝、地震を実際体験した人たちは少
なかったからなのか、それほど深刻さがない
ようにも見えます。
時間が経つにつれ、列に並んでいる人たちが、
「こんなところに並んでいても、拉致があか
ない」と列から離れはじめます。
私の前にいるお姉さんたちが
「神戸空港行きの高速船が動いているらしい」
と言って列から去っていくのを見て、
私のマインドも
「何か行動を起こした方がいいのでは」
という声がだんだん大きくなって来るので、
とりあえず、そっとハートのスペースを思い
出してみました。
マインドでこの状況を見ると、状況を変える
ための、あらゆる方策を考えたり、悪い方向
に想像を膨らませているのに気づきます。
関空は島にあるから、ここにいて
「もし」津波がきたら危険だとか、
「もし」一晩中交通機関が止まったままなら
空港のどこで過ごすのが安全だろうかとか、
起こってもいないことを想定している自分が
笑えます。
ハートのスペースからこの状況を見ると、
「うーん、わからないなあ」という感じがする。
隣にいるお姉さんに話しかけてみることにする
「どうでしょうかねえ?」
お姉さん
「さあ、どうでしょうねえ」
何かこのシンプルな会話が、わからないことの
中でくつろいでいることを助けました。
そして中心からこの状況を見ると、私の中で
「ここにいること」がいい感覚がやってくる。
普段の私なら行動力があるので、何かの対策を
持って、動いてもおかしくないのに、この感覚
を信頼することにしました。
するとしばらくして、「運転が再開され、一部
のバスの運行が始まる予定です」というアナウ
ンスが流れた。
そうはいっても、まだしばらくは私が乗る
行き先のバスが来るには時間がかかるだろうと
思っていたら、その5分後に、なんとそのバスが
私たちの列の前に現れたのです!
隣のお姉さんが私の方を振り返って、
「奇跡ですよ、これは。このバスが最初に来る
なんて!」
あきらめて、乗車の列を離れた人が多かったの
で、結局は私は最初に来たバスに乗り込むことができ
ました。
バスの中で隣に座ったおじさんは、
「私はバスにすでに乗っていたんだけど、途中で地震が起こって、
バスが空港に引き返したから、私は7時間待ったんですよ」
とつぶやいていました。
こういった状況下では、多くの人が
「家に帰ろう」
と思います。
「Where is home?」
どんな状況でも、ハートは私たちを「今ここ」
にもたらします。
そして「今ここ」にいることから
私たちは「直感」を受け取ることができます。
Much love to you
Komala
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