重荷が感謝に変わるとき

今回の執筆者、市場義人さんにはいくつかの顔があります。

ユニティインスティチュートでは「チャクラを開く体験」や「ハート瞑想」のティーチャーとしての顔。

英語の翻訳者として、「悟りのシンクロニシティ」をはじめとする何冊かの本を翻訳し、通訳者として、また英語の教師としての顔も持っています。

そして、今回紹介しているミラのペインティングトレーニングのファシリテーターとしての顔です。

それでは、市場さんの、「重荷が感謝に変わるとき」をお楽しみください。


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スペインで2週間にわたって行ってきた
OSHOアートセラピー&ペインティングトレーニングが
明日で終わります。

毎年、スペインのアマルーラという共同体で行われているこのトレーニングは、
ミラ(橋本一枝さん)が40年にわたって創り上げてきた
瞑想的な絵画へのアプローチを本格的に学べる数少ない機会のひとつです。

2年半前にミラが不慮の事故で亡くなってからも、
その伝統を受け継いで、仲間たちとともに毎年、
このグループを続けています。

アマルーラでのミラ不在のトレーニングも今年で3回目になりました。

初年度は緊張し、毎晩次の日に何をするかを議論して遅くまで費やしたのに比べ、
明日は誰がリードするか、くらいで何とか物事が進むようになりました。

1週目のプライマル・ペインティングは、
子どものときに押さえつけられたり、
否定されたりして生きられなくなったクリエイティビティを
取り戻すプロセスです。

子供の時にもっていた繊細な感受性を取り戻し、
絵を純粋な色のたわむれとして楽しめるようになることを目指します。

それだけでもとても深いもので、
両手を広げるくらいの幅がある大きな紙に、
自由自在に絵具を流し、筆を走らせ、
ときには紙の上に乗って、足で描いたりする行程をたどることで
いろいろなことが起こり、たくさんの気づきが生まれます。

2週目のネイチャー・ペインティングは、
自然を相手にして、自然から受け取るそのエネルギーを
絵にしていくプロセスといえるかもしれません。

このブログの読者のみなさんの中には、
2年前にミラ(橋本一枝さん)が亡くなったときの記事
お読みになった方もいらっしゃるかもしれません。
https://oshoartunity.com/blog/archives/14553

そこでは、どのようにして私が、
ミラが作り上げてきた瞑想アートのアプローチを継承するグループの一人となり、
あまりにも大きいミラという存在から受け継ぐことになったこの方法を、
必死の思いでなんとかファシリテートしようとしてきたかというお話をしました。

2年半がすぎ、今トレーニングが終わろうとしていますが、
今回のトレーニングは瞑想アートの方法がどれほど素晴らしく、
深いものであるかを実感する毎日でした。

たとえば、ネイチャー・ペインティングの最初は、
リンゴ園でリンゴの木を描きます。
 

OSHOの講話に、竹を描くように言われた禅僧が、
3年間、竹やぶの中で暮らし、師匠が来て見てみると、
竹になったかのように竹といっしょに風に揺れている僧を発見した
という話があります。

それと同じように、リンゴの木を外から攻撃的に描くのではなく、
リンゴの木が自分にやってくるように、
そしてその木になって内側から感じながら
そのエッセンスを絵にするというプロセスをリードしました。

ここまで来るのにとても長い道のりを歩いてきたように感じます。

私がミラと出会ったのはもう30年近く前になります。

その絵の素晴らしさに魅せられながらも、
ミラその人の炎のような迫力に圧倒され(それは愛の炎なのですが)、
できればあまり近づきたくないという思いでいましたが、

縁があり、数年に一度、
インドのOSHO瞑想リゾートで行われていた
ミラの絵のトレーニングの通訳としてトレーニングに参加しました。

そして8年前に、これからの10年間は毎年瞑想リゾートに戻って、
絵のトレーニングを受けようと決めたのでした。

もともと絵は得意と言えばそうだったのですが、
自分の絵が嫌いで、どうしたら好きになれるのか、
また素晴らしい絵が描けるようになるのか、
この10年をミラの瞑想アートの方法にかけてみようと考えてのことでした。

そして6年が過ぎたときに、ミラが突然亡くなり、
まだまだ何も分かっていないと思っている自分が
この方法を継承していく一人として
何とか頑張らなければならない立場になりました。

ですからこの2年間は、瞑想リゾートでも、スペインのアマルーラでも、
分かっていないのに、という思いをどこかに抱えながら、
それでもできる限りの力を尽くして、
トレーニングを教えるチームの一員として活動してきたのです。

必死の思いでした。

しかし去年から、少しずつ自分に起こると思っていなかった
zqaクリエイティブな変化が起こり始めました。

たとえば、OSHOは、
クリエイティビティはエゴから生み出されるものではなく、
自分を超えた大きなもののチャンネルになることだと語っています。

自分が絵を描くときにそれを体験するようになりました。

去年のアマルーラのトレーニングが終わり、
わずかな時間があったときに一人で自然を描いたのですが、
それまではどのようにしてこの大きな自然を描くことができるのか、
まったく分からなかったのに、

「自分にイエスを言う」というエクササイズをした後で描いてみると、
どんどんと手が動いて、紙の上に自然が生み出されていきました。

そのときには、自分が描いているのではなく、
何かもっと大きなものが描いているという実感がありました。

そういう状態のとき、絵がうまく描けたかどうか、
人がそれをどう評価するだろうか、などの懸念は一切なくなります。

このようにして、
絵を描くたびに新しい経験をするようになっていきました。

これは経験するまでは、まったく予想もできなかったことで、
ミラが生み出した方法がどれほどパワフルかが少しずつ分かってきました。

さて、今年のアマルーラのトレーニングに参加するために、
バルセロナに向かう飛行機の上で、
ミラが書いた「瞑想アート」という本を読み返しました。

この本は私が翻訳したのですが、
久しぶりに読んでみると,
書かれていることのほとんどが
まるで初めて読んでいるかのように感じられました。

そしてそのどれもがとてもパワフルで、
人々にクリエイティビティにつながるための
大きな宝物を残してくれたことが分かりました。

私はもともと画家になるように生まれついた人間ではないのですが、
ミラが遺してくれた方法のおかげで、
そしてミラが亡くなってから必死で
その方法を継承しようとしてもがいてきたことで、
思いがけず私の描く絵が全く違ったものへと
成長していくことになりました。

飛行機の中で、「瞑想アート」を読みながら、
この2年半の月日が自分にとってどれほど重荷だったかを思い返し、
同時にその時間がなければ、
自分がこのようにクリエイティビティに触れることはなかっただろうと感じたとき、
今まで感じていた苦しさが溶けていき、感謝に変わっていきました。

今年のアマルーラでも、
まだつたないながら参加者がクリエイティビティに触れることができるように、
仲間とともに様々な方法を使いながら、
絵のための絵ではなく、
生きていることのひとつの表現として
絵をともに描いていくプロセスを歩んできました。

明日、最終日もわずかに残された描く時間が、
自分にとっても他の参加者にとっても、
クリエイティビティの炎が
自分を通って流れる時間になることを願っています。

市場義人

P.S.
 来年の4月には、東京の目黒で、
ミラの展示会と、瞑想アートを体験するための
イベントなども企画されています。

ぜひ、ミラのクリエイティビティの炎に触れるひと時を
過ごしていただければと思います。