スペインでのミラ・アート&メディテー ション トレーニング(2)by トーショー

7月19日に日本をあとにし、20日の夕方にはスペ
インの北部、バスク地方にあるアマルーラという
共同体に着きました。

 

バスク地方は緑豊かな土地で、そこにピンク味を
帯びた薄いレンガ色の家々が絵の中の風景のよう
に建っています。アマルーラは山の中の村の一部
として広い敷地に、意識を高めるための共同体と
して20年前から造られてきました。

 

ミラは10年ほど前からその場所を気に入り、毎年
ペインティングのトレーニングをしてきました。

美しい自然、ハートフルな人々、広い敷地にゆっ
たりと建てられた瞑想ホールや、ホテル、レスト
ラン。ホテルやレストランはすべてそこに生活す
る人びとが運営し、働いています。そこで生活し
ながら、絵を描くことを通して進行する内側のプ
ロセスを、誰にも邪魔されずにたどることができ
る理想的な環境です。

到着した翌日、21日から3日間、ミラの夫の
スヴァギートによる、グループリーディングの
ためのトレーニングに参加しました。

このトレーニングは、ミラのワークを継承する私
たちをサポートしたい、というスヴァギートの気
持ちから発案されたものですが、スヴァギートの
カウンセリングトレーニングを修了した生徒や長
年スヴァギートに学んでいる人たちが受講を希望
し、最終的には、ペインティングトレーニングを
リードする私たちと絵の仲間たちも含め、総勢で
30人くらいの大きなグループになりました。

このグループは、参加者がグループの一部をリー
ドし、スヴァギートがコーチする、というもので
、これからペインティングのトレーニングをリー
ドすることになっている私たち4人も逃げること
ができません。

 

スヴァギートのグループリードの仕方は、シンプ
ルに言って、グループのエネルギーの動きを見極
めて、自然に流れるままにグループを進める、と
いうもので、今グループのエネルギーがダンスを
望んでいるのか、静かに座ることを望んでいるの
か、人と関わることを望んでいるのか、ひとりで
内側に入ることを望んでいるのか、自分が行いた
いことと、グループの流れの両方を感じながら、
自然にグループに必要なことが起こっていくよう
に導く、というものだと理解しました。(わずか
な経験なので、理解が十分でないことはご承知く
ださい)

 

ちょうど一人の人を相手に個人セッションを進め
るときに、その人がどの程度オープンなのか、今
どのような気分なのか、聴きたくないことでも必
要なことを聴く力を持っているのか、先に進む準
備ができているのか、などを感じながら一番適切
なことをしていくように、グループを一人の大き
な人間として見ているような気がしました。

 

そして一人の人の中でも一番目覚めている部分に
はたらきかけるように、グループの中でチューニ
ングが合っている人がしていることを全体に広げ
ていくことで、自然な流れができていきます。

 

もちろん私たち参加者が彼と同じようにできるは
ずがありません。

前に出てグループの一部をリードした人はみな、
それぞれの課題を丁寧に説明され、理解し、たく
さんのものを得ました。スヴァギートの観察眼、
状況の把握力、理解力、アドバイスの仕方は、ど
れをとっても驚嘆に値するものでした。

私の場合は、ダンスをしている人たちのその時の
流れを感じながらどうガイド瞑想に導いていくか
、という課題を与えられましたが、まず人々をガ
イドするのに選んだ音楽が全然場違いであること
を指摘され、途中から音楽なしの方が良いと言わ
れ、今みんなの気持ちが高まっているのか、疲れ
てきているのか、うまくつかめないままにスヴァ
ギートにサポートされ、何とか、短いガイド瞑想
にまでたどり着くことができました。

自分がグループダイナミクスを本当に知らないこ
とを身に染みて知りました。

他の3人も、それぞれ課題がはっきりとし、この3
日間がなければ、次に待っている2週間にも及ぶ
アート&瞑想のトレーニングを乗り切ることはで
きなかったでしょう。

 

ミラは25年にもわたり、スヴァギートとともにワ
ークをしてきたのですから、絵の力だけでなく、
グループダイナミクスについてもどれだけの経験
と理解を積んできたのか、今まで気がつかなかっ
た彼女の底力をいまさらながらに思い知りました。

このトレーニングの後、一日おいていよいよ2週
間のコースが始まります。

最初の1週間はスヴァギートが参加してコーチン
グをしてくれました。

 

私たち4人は、夜中まで頭を突き合わせて、どう
しよう、こうしようとプランを練ります。

最初の計画では、初めの3日間のプライマル・ペ
インティングは、オジャスとオランダ人のプレム
ラジがリードし、イタリア人のサハジャと私は次
の3日間のセルフポートレート(自画像)をリー
ドすることになっていました。

 

初日が始まります。私たちは目の前に水があるか
ら、飛び込まなきゃ、という感じでとにかくダン
スからスタートです。

しかし、ことは計画通りには進みません。

その日始まる前にスヴァギートに一日のプランを
説明しましたが、最初のメインになる内容が幼年
期のクリエイティビティについての痛みを扱うも
のだったので、スヴァギートからやらない方が良
いという意見が出ました。

 

先生がそういうのですから、ひよっこの私たちが
それでも、というわけにはいきませんでした。

 

しかし、それをやらなかったことから、夜中まで
かけて決めた計画はまったく違った方向に向かい、
良く言えば流れとともに進みましたが、決めた
ことは何一つやれずにその日が終わりました。

最初に決めた二人ずつがリーダーになるという計
画も、流れの中でやれると感じる人がマイクを握
ったので、実際には4人ともが自然に交代しなが
らリードしていきました。

 

その晩のミーティングでは、自分たちが妥協した
ことからどのようなことが起こったか、グループ
リーダーが何をしたいと思ってグループに臨んで
いるのか、それをハッキリさせることの大切さを
お互いに身に染みて感じ合ったのでした。

 

私たちはたくさんの失敗をし、それを通して学び
ながら、それでもだんだんとトレーニングは形に
なっていきました。

 

最初の1週間、スヴァギートが参加してその場、
その場で直接にコーチしてくれていなければ、
最初の週を乗り切ることはできなかったでしょう。

 

2週目は、スヴァギートはオランダのアムステル
ダムにグループをリードしに行き、私たちは、す
べて自分たちの力でトレーニンを続けていくこと
になります。

 

しかし、トレーニングの詳しい内容は、ここでの
テーマではありません。

 

私がここで書いておきたいのは、ハート瞑想がど
のようにトレーニングの中で意味をもったか、と
いうことです。

 

ミラからもらったグループ名“ペインティング・
ユア・ハート”は、私がハート瞑想を自分の瞑想
の道にしていることを知っていてくれたものです。

 

ですから日本でのグループでは、1日をハート瞑
想から始めたり、ペインティングに入る前にハー
ト瞑想をしたり、ハートのスペースに入ってから、
絵がそれにどのように影響を受けるのかを試して
みました。

 

しかし、ここではそれに頼ることはできません。
アマルーラでも、2回ほどハート瞑想をするチャ
ンスがあり、それはとても良かったのですが、
それを中心に進めることはできないのです。

 

トレーニングは、3人の仲間とともに、ミラが行
ってきた方法で進める必要があるからです。

 

ミラがペインティングのグループをしていたのは、
絵をうまく描ける人を創りだすためではありません。
絵を描くことを通して人が成長することができる、
というOSHOの教えに従って、40年間それを追及
してきのです。

 

ですから絵を描くこと自体が成長の方法である、
という側面があるのです。

 

私もハート瞑想の形式をそのまま使うのではなく、
絵を描くことでどのようにハートのスペースに
人々を誘うことができるのかを探求していかなけ
ればならないのかもしれません。

 

それでも、トレーニングの中で私がハート瞑想を
自分の道にしてきたことが、意味を持っていると
感じられる場面がありました。

 

リンゴ園の中で絵を描いた次の日のシェアリング
の中のことでした。一人の女性が、自分が絵を描
いているときに人に見に来られたり、話しかけら
れると自分のスペースを侵略されたように感じて、
激しく相手にノーを言ってしまったということ、
そしてその後、罪の意識に責められた、という
ことをシェアしました。

 

それが苦しいし、これからどうして良いか分から
ない、というのです。

 

その時にリードしていた人が、相手がどう感じる
かはその人の問題であり、あなたは自分のノーに
対してイエスを言うしかない、というようなこと
を言ったのですが、私にはそれは正しいけれど、
その人の必要に応じていないように感じられました。

 

ときには正しいことを言われてもそれをすること
が無理強いのようになって本当の理解をもたらさ
ないこともあるのでは、と感じたのです。

 

それで私は横から口を出し、「この場にいる人は
すべてあなたの気持ちを知っているのだから、あ
なたがノーを言っても良いとみんなが同意したら、
気楽にノーが言えるだろう」と言いました。

「またノーが強くなるのは、ストレスがあるからだから、
あなたがノーを言ってもみんなはそれを理解し、
受け入れる、という同意をしたらどうだろう。
そうすれば、もっと楽にノーを言う経験もできるの
ではないか」と提案しました。

 

私がリードしているシェアリングではなかったので、
その提案はうやむやになり、話は次へと進んでいき
ましたが、後からその女性が私の所にやってきて、
「ありがとう」と言ってくれました。

 

後に4人のリーダーのミーティングでは、私のやり方は
相手に同情するもので、それではグループは表面的に
相手が気持ちよくなるためのものになってしまう、
という指摘がありました。

 

私は強く反発しました。

成長には、もちろん自分の意志で立ち、人からノーと
言われることも覚悟した上でそれでも自分をつらぬく
ことにかけてみる、ということも必要なときがあります。

 

あるいは、リーダーとしては、ときには相手を突き放して
自分の責任を自分でまっとうするように促すことも必要かもしれません。

 

しかし、私が長い間、プラサードやアルヴィナ、リーラの
グループを受け、ともに過ごす間に、彼らがそのように
人を突き放すのを見たことがありません。

 

誰かがこちらから見れば明らかに、彼らの関心を
買うために発言することがあっても、そのことを
あからさまに指摘する代わりに、プラサードやア
ルヴィナは、”We love you”と言うのです。

それこそがその人が求めているものであり、
それが本当の愛から出たものであるなら、
そのエネルギーを受けとることこそ、
その人にとって深いところで本当の成長が
起こる種になるのだと私は感じています。

 

“We love you”がただ相手の欲望を満たすために
発せられた、操作のための言葉であれば、それ
はただ相手を気持ちよくするだけで、本当にはそ
の人の成長を助けるものにならないのはよく分か
っているつもりです。

 

しかしその“We love you”はハートのスペースから
発せられた本当のものだからこそ、相手の胸に届くのです。

 

私はそのあり方により深さを感じます。

 

このトレーニングの中で、二人の参加者が私のと
ころに来て言ってくれたことがあります。

 

ひとりは、「ノーを言ってしまうが、それが苦しい」
とシェアした女性(ノルウェー人)ですが、

それからしばらくして、「あなたは、このトレー
ニングをホールドしている。それに感謝している」
と言ってくれました。

 

もう一人の女性(アメリカ人)は、「あなたがや
ることはすべてハートから来ていますね。ありが
とう」と言ってくれ、その人もまた「あなたはこ
のトレーニングをホールドしています」と言って
くれました。

 

私はどの参加者も友人のように感じられ、ともに
いることを嬉しく感じていました。

 

リーダーのひとり、オランダ人のプレムラジは、
アーティストで、素晴らしい絵を描く人です。彼
がいたことで、ペインティングのトレーニングと
いう側面での質が確保できたのですが、彼は、
「シェアリングはお前が一番だ。温かくて、誰でも
安心してシェアしたいという気にさせてくれる。

私さえ何か言いたくなったくらいだ」と言いました。

 

「こちらから相手のところに行って引っ張り出す
のではなく、受け入れてくれると感じて相手から
やってくるようなシェアリングができているよ」
とも言ってくれました。

 

ここまで書いてみて自分で気がつくことは、発言
や行動に適切でないことがあったにせよ、
技術的にみて十分でないことがあったにせよ、私
にとって一番大切なことは、言葉や行動の中に愛
があるかどうかだ、ということです。

 

そしてその愛は、私はユニティインスティチュー
トのプラサード、アルヴィナ、リーラを通して自
分の中で見つけてきたものなのです。

 

今回のアマルーラでの経験を通して学んだことは
本当にたくさんあったけれど、今まで自分の中で
育ってきた愛こそ、その中心になるものだと深く
心に感じました。

 

私は絵に関してまだまだ開眼したと言えない段階
なのに、ミラが
「来年は“ペインティング・ユア・ハート”をやりなさい」

と言ってくれた意味が、少しわかったように感じています。

 

トーショー