「第1~第3チャクラの本質を生きる」by トーショー

ある人がOSHOに質問しました。

「どのようにすれば奇跡を体験できるのでしょう?」

OSHOはこう答えました。

「ただあなたがこの世界に生きていることが奇跡ではないかね?

鳥の声を聴き、光のたわむれを楽しみ、
人とつながる喜びを感じられることが奇跡でないとしたら、

ほかにどのような奇跡があるだろうか」
 
(OSHOは全く違ったように話したのだと思いますが、
これは大体の趣旨を思い出して書いたものです)

人が奇跡を求めるとき、何が起こっているのでしょう?

もしかしたら、今の自分に満足していないのかもしれません。

今、ここで起こっている、当たり前の現実ではなく、
何かすばらしい、
目の覚めるような非日常の経験をすること、

たとえば、空を飛べないはずの動物が空を飛んだり、
水の上を歩けないはずの人間が水の上を歩いたり、
起こるはずのないことが起こったり。

これは映画の中やディズニーランドのパレードで感じる
わくわく感とも関係しています。

そういったものを強く求めているとしたら、
それは今ここの当たり前の命の現象は
つまらないものだと言っているのかもしれません。

一息ごとに空気が肺を満たすこと、
食べ物がのどを通り体が喜ぶこと。

人と人との何気ない会話ややりとり。
歩く脚の感覚。能力を発揮できたときの充実感。

あるいはうまくいかなかったときのつらい気持ち。

こういったことを全部味わい尽くすことができるなら、
生きていることそれ自体が素晴らしい、
奇跡のようなものだと感じるでしょう。

今この瞬間に満足しているなら、
それ以上何も求めることはないでしょう。

それでは、
どうすれば今この瞬間に満足することができるのでしょう?

私の理解では、自分にイエスを言うことです。

自分がどのような状態であっても、その自分にイエスを言う。

苦しい時もあり、悲しい時もあり、
あるいは卑怯だったり、意地悪だったり。

いろいろな自分を瞬間ごとに経験しますが、
それを私たちは良い、悪いで判断してしまいます。

そうすると内側に分裂が生まれます。

起こっていることと、
それを良くないと判断して抑えようとする部分と。

内側に分裂があると、エネルギーは弱められ、
幸せや満足を感じることができません。

どんな自分であってもそれにイエスを言う。

それは例えば怒りがあるとき、
それを人にぶつけるということではありません。

その怒りを、ただ自分の大切な要素として受け入れ、
愛する。怒っている自分を、ダメだと思わない、
ということです。

それが自分にイエスを言うということです。

みなさんも誰かに本当に受け入れられたと感じたとき、
とても安らかな気持ちになったことがあるかもしれませんね。

それを自分にしてあげることができます。

それがハートのはたらきです。

ハートはそのままの自分を受け入れ、愛します。

すると内側で何かが統合されていきます。
今まで抑えていた「よくない部分」が
もう隠れていなくてもよいと感じて姿を現します。

その部分が受け入れられ、愛されると、
分裂がなくなります。

これは簡単に進むプロセスではありません。

私たちは今まであまりに自分を否定し、
拒絶し、ノーと言ってきています。

少しずつ、少しずつ、
自分の中にあるものにイエスを言い出しましょう。

怖いことかもしれません。

でも私の経験では、例えば怒りや悲しみなどの
ネガティブと言われている感情を、
ハートが受け入れると、それは美しい質に変わります。

ちょうど王女様にキスされた醜いカエルが
王子様に変身するように。

私たちは内側で、ますますひとつになっていきます。

すると自分が本来、力強く、
美しい存在であることに気づき始めます。

この内側にある美しい質を、
ユニティ・インスティチュートでは本質と呼んでいます。

私が上に書いた日常の経験は、
ふつう下にある3つのチャクラの働きです。

身体が元気で(第1チャクラ)、
人とたのしくかかわり、豊かな感情を経験し(第2チャクラ)、
自分の能力を発揮する(第3チャクラ)。

これが自然にできているとき、
それぞれのチャクラの本質が表現されています。

本質が生きられたとき、私たちは満足を感じます。

下位のチャクラが十分に生きられると、
それは私たちに生きている意味を感じさせてくれます。

ですからユニティ・インスティチュートでは、
下位の3つのチャクラに気づき、
ヒーリングしていくことに重きを置いているのです。

プラサードやアルヴィナは、
そのとき、上位のチャクラが自然に開き始めると
教えてくれています。

そうすると、今ここでの命の表現は、
どんどん深いものになっていきます。

日常の何気ない経験に満足するようになると、
日常の経験が深まっていきます。

そしてもしかしたら、人が奇跡という言葉で表すような性質も、
深まった日常として経験するようになるのかもしれません。

去年、チャクライベントティーチャートレーニングが終わり、
たくさんの人たちが、
第1~第3チャクラの気づきを深めるイベントをシェアしはじめています。

このイベントでは、
毎回ひとつずつのチャクラに焦点を合わせ、
そのチャクラがもっている本質をハートから経験します。

それは自分にイエスを言う大切な機会になるかもしれません。

トーショー(市場義人)
http://inner-blossoming.com/