続「バラが教えてくれたこと」

先月のニューズレター
「バラから教わったこと」には、子供の頃、
私は親や世間から見たお利口さんだったことを
書きました。
http://ameblo.jp/unityinstitute/entry-12282993074.html
 
実はその後に続きがあります。
 
振り子が対極に振れ、不良へと転身。
そして自立へと向かうストーリーです。
 
チャクラのエネルギーが、外側の世界を創造する
という、わかりやすい実例だと思うので、読んで
くださるとうれしいです。
 
 
中三になって受験校を決める頃、私と両親との間
に選択の相違が起きていました。
 
相も変わらず私を過剰にコントロールし続ける母、
趣味の世界に没頭し子供に興味を示さない父。
どちらも私の希望を受け入れませんでした。
 
私を否定されているように感じながらも、
どうすることもできず、悲しみと怒りの感情を
抑圧したまま毎日を過ごしていました。
 
 
ある日のこと、どんな話からそうなったのかは
思い出せませんが、父から
「子供を可愛いと思ったことがない」
と言われました。
 
父の正直な気持ちだったのでしょうが、
とてもショックでした。
 
子供と親密になることを避け距離をおく父と、
私を世間に見せびらかすことに執着する母との間
で、私は混乱していました。
 
愛を感じられない居心地の悪い家庭と、
しかたなく入学した高校生活には何の魅力も感じ
られず、自分を慰めてくれる人や場所を探し求め
ていました。
 
第2チャクラが共感や感情的なつながりを求めて
いたのでしょう。
 
その後始めたアルバイト先で、不良グループと
出逢うことがきっかけとなり、その念願が叶う
ことになります。
 
楽しむこと、遊ぶことが許されない窮屈な家庭で
育った私には、夜遊びを楽しんでいるいい加減な
彼等がうらやましく見えました。
 
そして、私と同じように傷ついている彼等に
親しみも感じ、アッという間に仲間に加わり、
一緒に夜遊びを楽しむようになったのです。
 
結束感のある仲間とのつながりに
「自分の居場所がやっと見つかった!」
と思いました。
 
当然、学校にもほとんど行かなくなり、
大都会の夜の街をさまよう不良少女に本格的に?
転身していったのです。
 
両親の期待に応える生き方に「ノー」を言う意思
表示が、なんと不良という道の選択なのでした。
 
それも、第3チャクラのひとつの目覚めだったと
思います。
 
しかし、寂しい、悲しい、傷ついた・・・
といった感情レベルでつながっている仲間と、
そうは長く続きませんでした。
 
充分に悪ふざけや夜遊びを楽しんだ後、
一年後には退屈になり、不良グループから離れる
ことになりました。
 
高二の夏、私はどうしても独りになりたくて家を
出ることを決意しました。
 
お風呂なし、トイレ共同、日の当たらない四畳半
一間での暮らしの始まりです。
もちろん親からの援助はありません。
 
学校で遅れた分の勉強を取り戻しながら、かけ持
ちでのアルバイト生活。
猛烈に勉強し、働きました。
 
心身ともにきつかったのですが、それでも私に
とっては自由を得た感じがしたのです。
 
この自立は私が個として生き始める大きなきっか
けとなり、第3チャクラを成長させていく体験に
なったと思います。
 
例えば勇気、決断力、忍耐力、集中力
といった質です。
 
この質はその後も長いこと社会の中で使い続けて
行きました。
 
4年前にサトルボディヒーリング(SBH)の
コースに参加した際、チャクラには前面と後面の
質があることを知りました。
 
私は少し早めの自立で前面の質は成長させていき
ましたが、後面の休息や人に委ねる質に関しては、
気づきが狭いことがわかりました。
 
ティーチャーのアルヴィナは
「チャクラは前面と後面の両方を体験して
 初めてそのチャクラを生きていることになる」
と話してくれました。
 
SBHや他のコースへの参加は、
ハートや各チャクラを通じて、
どんな風にバランスに戻ってくる事ができるかに
気づきをもたらす機会を与えてくれました。
 
子供時代の痛みやその後の体験を、チャクラの
エネルギーとして見ることは、
自分を認識する貴重な機会であり、
それ自体がすばらしいヒーリングでした。
 
今、私はコースへの参加やハート瞑想。
チャクラ瞑想を続ける中で、自分の自然なリズム
を発見し、行動と休息のバランスに気づくように
なっています。
 
それはまるでハートと第3チャクラに
愛と信頼の架け橋ができたような歓びの体験です。
 
 
viramo keiko kayama記
ANGEL  FARM
http://angelfarm.jp/