今年も去年に引き続き、7月の下旬から20日間、
スペインに滞在してきました。
ミラ(橋本一枝さん)が、OSHOのビジョンを絵画
の分野で追及し、たどり着いた「瞑想アート」
の方法は、今世界で多くの人の手を通して、広ま
ってきています。
その中でも、スペインで毎年開かれているトレー
ニングは、2週間という長さもあって、ミラの残
したアプローチを、深く経験する場になっていま
す。(ミラの本は、日本では「瞑想アート」と
して、和尚アートユニティから、去年出版されて
います。)http://oshoartunity.com/meera/
私も、ファシリテーターチームの一員として、ア
マルーラという共同体で行われた、このトレーニ
ングをファシリテートしてきました。
去年、初めてそのためにスペインに行ったのでし
たが、どの都市がどこにあるのかさえよくわから
ないままに、バルセロナ行きの航空券を購入しま
した。
まずバルセロナに飛び、そこから、トレーニング
の開催地に近い町、ビルバオに行くには、さらに
飛行機を乗り継がなければならないことは、あと
から知ったのでした。
そのような経緯で、バルセロナの街を、少し歩き
ましたが、あの有名なガウディが創り始め、まだ
完成していない教会、サグラダ・ファミリアには
行くことはできませんでした。
それで今年はガウディの創った教会を見ようと決
めて、再度バルセロナ経由でアマルーラを訪れる
ことにしました。
しかし、サグラダ・ファミリアの中を見学するに
は、あらかじめインターネットで予約しておく必
要があったのでした!
せっかくなので、外見だけでも見ていこう、と思
い、地下鉄で教会の真横に出る駅に着きました。
地下から階段を上って地上に上がると、目の前に
教会の側面が現れました。
石造りの巨大で荘厳な建造物!を予期していたの
でしたが、目の前にそそり立つ(たしかにそそり
立ってはいました)建物を見て、私に最初に起こ
った反応は、リラックスでした。
この、有名な教会は、少しも脅威を感じないので
す。
20年以上前にドイツのケルンに行き、有名なケル
ンの大聖堂の中に入ったとき、その壮大さ、はる
か頭上の天井の高さに圧倒され、恐れを抱いたこ
とを思い出します。高さ157mのふたつの塔は建設
当時世界一の高さだったそうです。
昔の人はこれほど壮大な建物の天井を神の存在と
つなげて、神を畏怖したのではないかと思いまし
た。
サグラダ・ファミリアの塔は、18本作られる予定
で、2026年に予定されている完成時には、170mの
塔ができているそうですが、現在建っている8本
の塔のうちでは、107mのものが、一番高いそう
です。
今現在でも巨大な建築物であるサグラダ・ファミ
リア。
なぜこの建物を見たときに、深くくつろいだので
しょうか。
それは、この複雑で、さまざまな要素が入り組ん
でいる建物が、命を持った生き物であるかのよう
に感じられたからだと思います。
建築の着手時に、全体像を描いているデッサンが
ありますが、シルエットで描かれた大聖堂は完成
時の姿を見せています。
ガウディの頭の中にはすでに全体像があったので
すが、実際の建設方法はユニークなものでした。
紙に設計図を描かずに、アイデアを、段ボールや
石膏を使って、自分の手で彫刻にして説明したそ
うです。時には模型を縄で吊り下げて、重力との
関係を見たそうです。
このように有機的に作られた作品は、ガウディ存
命のときにも、43年の歳月をかけ、全体で150年
近い歳月を費やし、少しずつ成長していったので
す。
それだけではありません。巨大な壁面にはたくさ
んの彫刻が施されていますが、そこにはキリスト
やマリアにまつわる寓話的彫刻や、天使たちだけ
でなく、カタツムリや亀、犬や羊、鳥たちやテン
トウムシまで様々な生き物が彫られています。
生誕のファサードと呼ばれる部分の尖塔には生命
の木が立っています。
たくさんの尖塔の頂点は、キノコのような形をし
ていたり、たくさんの球体でできていたりして、
ベネチアモザイクであざやかに彩色されていて、
遠くから見ると砂糖菓子のようです。
彼は、建築物の頂上が、避雷針や金属製のものと
なることを好まず、「建物の頂上部が十字架や、
風見鶏といった、小さな金属製のものでできてい
るということは、頭の中央に、毛が一本しか生え
ていない禿げ頭のようなものだ」と言ったそうで
す。
ガウディの建築は波うち、曲がりくねり、天井を
見れば、洞窟のようだと言う人もいました。
彼に資金を提供したグエル伯爵は、ガウディの設
計で高級住宅地を作ったのですが、結局予定して
いた60世帯のうち、売れたのは一軒だけで、仕方
なく伯爵とガウディが移り住み、あとは公園にな
りました。
このように、時には不評であった、彼の作品です
が、彼は自分のインスピレーションを信じ、自分
が創ったものたちにも、愛情を向けました。
ガウディは、朝出かけるとき、夜帰宅するとき、
いつでも公園の見張り番である、モザイクタイル
で彩られた、ドラゴン(トカゲに見えます)に話
しかけ、挨拶したそうです。
そして最後には、自分のすべてをサグラダ・ファ
ミリアに注ぎました。
地下鉄の階段を上り、最初に目に入ってきたサグ
ラダ・ファミリアの巨大な壁面が脅威としては感
じられず、ぐるりと建物の回りを回りながら体が
リラックスしていく感覚は、まさにハートの感覚
でした。
少しも知識を持たずに教会を訪れた私でしたが、
私にとって、サグラダ・ファミリアは、全体でひ
とつの巨大な、ハートの彫刻のように感じられた
のでした。
彼の一生は、自分のハートに従った一生でした。
私たちも、ハートのビジョンに従って生きること
を模索しています。
彼はそのひとつの例として、ハートを生きること
の力を教えてくれています。
彼は偉大な「ガウディ」ではなく、私にとっては
「ガウディさん」、と呼びたい存在になりました
。
今年は中に入れなかったのですが、この建物の横
にあるお土産屋さんで、ガウディの本を買いまし
た。
そこには内部の様子が紹介され、「丸天井とス
テンドグラスが、ガウディが望んだとおりに光を
通し、まるで森の中の木漏れ日のようである」と
書かれています。
来年また、バルセロナに来ることができるとした
ら、そのときにはこの大聖堂の中、光の中を歩い
てみたいと思っています。
By トーショー
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