ラハシャ「レインボーコンシャスネス」参加体験記

どんなことをするのだろうという好奇心と、
自分の中のもやもやが少しでも晴れることを
期待し、初めて参加しました。

ラハシャ博士の誘導による深い瞑想がもたらす
「今ここにいる」という「プレゼンス」の体験。

ラハシャ博士と一対一で向かい合うサットサングの体験。

ラハシャ博士の愛に満ちた語りと対話とオーラを通し、
私の中の芯のあたりがとても変化したと感じています。

それは自分の地軸が転換したように感じるほどの、
大きな変化でした。

それほど大きな変化だと感じた理由は、
恐怖に対する感じ方が明らかに変化したからです。


「恐怖自体は美しいもの。だから歓迎しましょう。
そうすれば恐怖は恐怖ではなくなります。」

ラハシャ博士にそう言われたとき、
私の中に疑問がひとつ浮かびました。


閉所恐怖症の私がその恐怖に襲われるとき、
息苦しさや震えなど体の症状が出ます。

昔電車に閉じ込められた時の恐怖と、
いつ出られるかわからないという不安との間で、
押しつぶされるような息苦しさが
実際に込み上げてくるのです。

そうなると、
何よりもまず息ができる場所へ避難する必要があり、
「恐怖を歓迎」している時間も余裕もないのです。

いったい、この種の恐怖は
どうやって歓迎すればよいのだろう?


サットサングの機会に、
この疑問について質問しました。

するとラハシャ博士は全員を立たせ、
私の周りを皆に取り囲ませたのです。

私は、突然多くの参加者の人たちに囲まれ、
体が触れるほどの密集の真ん中に
突然、立たされることになりました。

私は次第に息苦しくなり、
手には汗が滲みました。

「外に出たい」と訴えましたが、
ラハシャ博士は「わかるよ」と言いつつ
皆にさらにもっと近寄るように指示したのです!

私はますます呼吸が荒くなり始めました。

その頃を見計らったかのように、
ラハシャ博士は私の手を握り、

「自分の中で起こっていることに
好奇心を持ってごらん」と言いました。

しばらくして

「今感じている恐怖のレベルをもっと上げてごらん」
と私に語りかけました。

私は息苦しさと恐怖で取り乱す自分を想像しましたが、
待っても待ってもそうはなりませんでした。

「あれ?」と思った瞬間、
自分がどこか見えないスペースに、
ぽんと押し出された感じがしました。

そしてそこで規則正しい呼吸をし、
静かに立っている自分に気づきました。

恐怖のピークを超えた体験でした。


恐怖を感じるにもかかわらず
それを拒絶せず、
好奇心を持って見続けることで、
恐怖とともに過ごすことができたのです。

すると恐怖は予想に反して暴走せず消え去り、
同時に体の反応も静まりました。

これが「恐怖を歓迎する」ということなのだと、
実際に、自分の体で知ることができました。


その日から、
苦手だった電車に落ち着いて
乗っていられるようになりました。

恐怖は永遠に恐怖ではないことが、
意識と体の芯の方でわかったのだと思います。


ラハシャ博士が考案された「意識の地図」の中央には、
何もない空間があります。

そこが、ただ今にあるという
「プレゼンス」の状態とのことでした。

恐怖のピークを超えた後に私が抜け出たところも、
このプレゼンスだったのだろうと思います。

そしてこの場所へは
瞑想がいつでも連れていってくれると、
ラハシャ博士は教えてくれました。


頭、マインドは過去や未来のことをあれこれ考えて
不安になったり悲しくなったりするけれど、
過去も未来もどこにも存在しない。

今だけがあり、今には何もない。
今にいるというプレゼンスは、
何もかもを受け入れるスペースであり、
それは空でありながら、
何か根源的な力強さを感じました。

瞑想で体験した、その空の状態を
ずっと感じていたいと思うようになりました。


あのサットサングを始める前、
ラハシャ博士は私に、

「勇気がありますか?」と尋ねました。

勇気があるから恐怖を感じないのではなく、
恐怖とともに過ごす意志が勇気であり、
感情の影の部分を受け入れるヒントのように感じました。

そして勇気を絞り出している最中には、
不快な圧迫感しか感じなかった人垣が、

私のために人垣をつくってくれている
一人一人の愛ある人々だと感じられた変化も、
大きな転換の体験でした。

ラハシャ博士と、
愛ある人垣をつくってくれた大切な仲間たち、

コースをプロデュースしてくださった
和尚アートユニティの皆さんに、
心から感謝しています。

参加できて本当によかったです。

渡辺素子