和尚アートユニティで長年講師をしていただいていた、ユニティインスティチューチ(UI)のディレクターのプラサードが、アメリカのセドナの現地時間11月1日に、肉体を離れました。
11月1日は期せずして、私の父親の命日と同じ日です。
その同じ日に、私のもう一人の父親とも慕うプラサードが肉体を離れたことは、悲しく、寂しいことです。
しかし、人間は肉体だけではなく、肉体以外の次元があることを、Oshoの教えや、UIでのハート瞑想、そして瞑想の実践などを通して、感覚としてわかるようになっています。
その肉体の死を超えたつながりとともにあることが、日本時間、明日の朝9時半から開催される、アルヴィナのガイドによる「プラサードとのシンクロニシティ」の集いです。
https://oshoartunity.com/blog/post_lp/synchronicity-with-prasad
現時点ですでに186人の方が登録されていますが、今ならまだ参加できますので、もしご希望される方はご参加ください。
なぜ私たちは、プラサードが亡くなったとは言わず、肉体を離れたというのか?
また、プラサードとのお別れの会、などとはせずにシンクロニシティの集いなどをするのでしょうか?
それは前回も少し書いたように、人間は単に肉体に閉じ込められた存在ではないからです。
そして、瞑想やハート瞑想を通して、その肉体を超えた次元でつながり、その存在を感じることができるからです。
私にとって大きなテーマは「死」でした。 学生時代に不治の病を医師から告げられたり、その後も何度か死の瀬戸際も体験しました。
何よりも大きかったのは父親の死でした。肉親の死は、ある意味自分の死を強く意識させられるものです。
どんなに社会的に成功し、尊敬された人であっても、肉体が死ねばそれですべてが終わりになってしまうのか?人生とはそのようなものなのか?
それが人生に対する大きな問いとなり、それが私をOshoとの出会いへと導いてくれました。
Oshoは肉体の死を超えた世界を確実に知っている人です。単なる過程や、仮説や信心としてはなく、その死を超えた世界を自らの体験を通して語ることのできる人です。
それはOshoの「死について 41の答え」を読んだことがある方ならわかっていただけると思います。
Oshoが、「私の肉体しか見ないものは私を見逃す」と言ったのと同じように、プラサードと肉体を超えた次元でつながり、感じる機会が、プラサードとのシンクロニシティの集いです。
私がプラサードに、「日本でも教えてださい」と提案したときに、「あなたがそのことにコミットするなら、私も日本で教えることにコミットしよう」という言葉から、日本でユニティインスティチュートが設立されました。
リーラ、プラサード、アルヴィナがディレクター兼講師となり、OAUはその日本での事務局を務めてきました。
しかし、リーラが肉体を去り、そして今回プラサードが肉体を去りました。
アルヴィナからのプラサードが肉体を離れたというメールには、「プラサードの最後の日々は平安に満ちていて、途方もない光に満たされ、とても広大なスペースとともに肉体を去っていきました」と書かれてありました。
そして最後に、「プラサードは病気のために日本に行って教えることができなくなったことをとても申し訳なく思っていた」と書かれているのを読んだときには、「自身がそのような状況のなかにありながら、あの約束のことは覚えてくれていたのだ」という思いとともに涙が溢れました。
肉体がどのような状態であっても、ユニティインスティチュートでの教えの中では、プラサードとリーラからのシンクロニシティのなかでのサポートが息づいています。
今では、ユニティインスティチュートのディレクターはアルヴィナ一人となり、アルヴィナにとっては淋しく辛い日々ではあると思いますが、さらに強く、プラサードとのシンクロニシティも感じていることでしょう。
そのシンクロニシティの分かち合いが、明日開催されるアルヴィナのガイドによる「プラサードとのシンクロニシティのための瞑想」の集いです。
私たちの肉体がどれだけこの世にとどまっていることができるのかは、「神のみぞ知る」です。 今生きていくこの命をお祝いし、プラサードとのつながりをセレブレートしましょう。
OAU
えたに
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