今回はこのなかの「本質の目覚め」に関連するお知らせです。
ユニティインスティチュート 「本質の目覚め」11月22日~24日 のお知らせ。 http://unityinstitute.jp/livingyoudestiny/seminar.html
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『Joy (喜び)』というOSHOの本が山川夫妻の翻訳で角川書店から出版されました。 http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4041105390/oshoartunity-22/ref=nosim
とても人気の本で、書店でも平積みになっているので、読まれた方も多いと思います。
「幸せとは何か?」ということを知りたい方や、幸せに人生を生きたい人にとっては、目からウロコの本になるでしょう。
というのは、幸せは、「あなたがそれを求めると、不幸せを発見する。求めることによって、あなたは幸せを取り逃がすだろう。 幸せを取り逃がすこと。それが不幸せということなのだ」と書かれてあるからです。
たいていは、みんな、幸せになろうとして、一生懸命努力して生きているのではないでしょうか? ところが、それが実は幸せを取り逃がす道であったとは。。。
でも、よくよく考えてみると、実はそれが本当かもしれない? と思ったりもします。
なぜなら、幸せになろうとしている人ほど、不幸にはまっている人たちも多くいるからです。 それは、幸せを求めることについて,どこかで何かを間違っている可能性があります。
では、どこが間違っているのでしょうか?
それはこの本『Joy (喜び)』を読んでいただくこととして、ここではOSHOが快楽と幸せ、喜びと至福という4つの言葉について述べていることについて少し書いてみたいと思います。
なぜなら、これが人生の幸せや喜びについての理解の鍵でもあり、またユニティインスティチュートで開催しているセミナー「本質の目覚め」とも関連しているからです。
このことを理解すると、どうして「本質に目覚める」ことが人生で意味あることなのかがよく分かります。
結局このことについてわかっていないと、どんなに努力しようと、何を得たとしても、結局は幸せになることもできなくなってしまうからです。
でも、このことをひとたび理解できれば、何をしていようと、どういう状況にあっても、幸せに生きていくことができるものでもあるからです。
OSHOは「快楽を手放し、至福を手に入れなさい」という仏陀の言葉について深く理解する手がかりとして、快楽と幸せ、喜びと至福という4つの言葉について、次のように定義しています。
「快楽は肉体的、生理的なものだ。 快楽は表面的なものだ。 そのため、快楽は外側の状況に依存するしかない。 そしてそれは刺激に過ぎない。
「2番目に理解しなくてはならない言葉は幸せだ。 快楽は肉体的なものだ。 幸せは精神的なものだ。 幸せの方が少し良い。 もう少し洗練されている。」
「3番目は喜びだ。 喜びはスピリチュアルだ。 それは快楽や幸せとは違う。 まったく違う。 それは外側とは関係がない。 それは内面的な現象だ。 喜びは状況には依存していない。 それはあなた自身のものだ。 それはものによって生み出される刺激ではない。」
「至福とはあなたが自分の存在のもっとも深い中心に到達しているということを意味する。 それはあなたの存在の究極の深みに属するもので、そこにはもはやエゴすらない。 至福はあなたが発明するものではなく、発見するものだ。 至福はあなたの最も奥深いところにある本質なのだ。」
OSHOはさらに続けます。 「それはまさに最初からそこにあるのに、あなたがそれに目を向けていなかっただけだ。 当たり前だと思っていたのだ。 あなたは自分の内を見ようとしない。 これこそが人間の唯一の不幸だ。 つまり、人は外ばかりを見て探し求めているということだ。 そして外には見つけることができない。そこにはないからだ。」
「探すものは何ですか?」という井上陽水の歌がありますが、まずはどこを探すのかということが大切ですね。
幸せというものは、人それぞれの定義があるでしょうし、人それぞれが幸せに求めるものも違っているだろうと思います。
外側の刺激に幸せを求める人もいるでしょうし、内側の充足感や喜びに幸せを求める人もいるでしょう。 そして、究極の永遠の幸せというものが仏陀のいう「至福」ということだと言えるでしょう。
幸せな人生を生きるために。
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「本質の目覚め」11月22日~24日です。 http://unityinstitute.jp/livingyoudestiny/seminar.html
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