瞑想を進めるためには感情を浄化して、
純粋な感情を持つことがとても有益だというふうに
Oshoは教えています。
感情にはさまざまな感情がありますが、
そのなかでも4つの感情が大切だと言われています。
その4つの感情とは、
友愛、慈悲、快活さ、感謝です。
そのなかで今回は友愛と慈悲についてのOshoの言葉をご紹介します。
そう、第一の鍵は友愛だった。
そして第二の鍵は慈悲だ。
慈悲もまた、友愛のひとつの形だ。
それはほかの要素も含んでいるからだ。
しかしわたしは、それを区別して言う。
というのも、
それはほかの要素も含んでいるからだ。
「ほかの要素」とは、
自分の周りにいる人々を見たら、
彼らに対して慈悲を感じるということだ。
いま現在、たくさんの人がここに座っているーー
その内の一人が、夕方までに死ぬかもしれない
ということを知る人はいない。
ともあれ、
いつの日かタベに誰もが死ぬだろう。
わたしたちは、いずれみな死ぬ。
そして、前に座っている人たち全員の中で、
その顔のひとつを自分は
永久に見ないかもしれないと覚(さと)ったら、
ハートは彼らに対する慈悲に溢れはしないだろうか?
Osho
Oshoはここで
「慈悲もまた、友愛のひとつの形だ。
それはほかの要素も含んでいるからだ。
しかしわたしは、それを区別して言う。」
と語っています。
そこにはどのような別の要素があるのでしょうか?
トゥプテン・ジンパ博士の「コンパッション」では、
慈愛(Loving Kindness)と慈悲(compassion )とを区別しています。
そして仏教の慈悲には二つの要素が含まれています。
「慈」は、梵maitrī(マイトリー)
「悲」は、梵karuṇā(カルナ)の訳とされています。
マイトリーというのはマイトレーヤとおそらく語源が同じだと思うのですが、
お釈迦様の滅後、56億7000万年後に再びこの世界を救済するために
再臨すると伝えられている弥勒菩薩のことです。
広隆寺と中宮寺の弥勒菩薩像が有名ですが、
中宮寺の弥勒菩薩像は母親のような慈愛に満ちた
雰囲気があって、とりわけ好きな仏像です。
それはともかく、
慈というのは、楽、幸福を与え
悲というのは、苦しみや苦悩を除く
という意味があります。
仏教では「抜苦与楽」という言葉があります、
読んで字の如くの意味で、
「抜苦」とは苦しみを取り除くことであり、
「与楽」とは安楽であることや楽しみを与えるという意味があります。
Oshoの今回の言葉に簡単にその違いを言うとしたら、、
「与楽」の部分が友愛、
「抜苦」の部分が慈悲と言うことができるでしょう。
慈悲という言葉には、その両方が含まれています。
ジンパ博士の「コンパッション」では、
慈愛を「loving kindness」として、
他者の幸福を願うことと定義し、
慈悲とは、他者が苦しみから解放されるように願うこと、と定義しています。
これらは概念上の定義の違いですが、
Oshoは概念上の定義を超えて、
直接私たちが慈悲の心を持つことができるようにと誘います。
それは私たちには、すでに
慈悲心が誰の中にもあることが前提とされています。
Oshoの言葉を読めばその内側の慈悲心が自然と感じられるでしょう。
それは私たちが今会っている人たちは
明日も生きているとは限らない、という現実です。
もしその人たちが今日の夕方には死に、明日出会うことができないとしたら、
その人たちに慈悲の心を感じないだろうか?
という問いです。
その人が苦しむことがないように。
その人が幸せになりますように、という心が自然と溢れてこないでしょうか?
慈悲心は私たちが内側に生まれながらに持っている心です。
その慈悲心(コンパッション)を持つことが、
自分を幸せにすることの鍵であり、
そしてまわりの人たちをも幸せにもする鍵となります。
そんなコンパッションを実践するための機会が
コンパッション実践会です。
2025年1月の今年最初のコンパッション実践会は、
明後日の1月8日(水曜日)午前9時半からです。
https://compassioneducation.jp/schedule#practice
2025年が幸せの一年となりますように。
OAU
えたに
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