【WS】本当に瞑想は死ぬ時に役に立つのか?

明日6月4日(水)は、毎月一回開催される
コンパッション実践会の日です。
https://compassioneducation.jp/schedule#practice

瞑想をガイドするウタ・コマラがセドナからであることもあり、
平日水曜日の朝の9時半からという時間帯にも関わらず、
毎回多くの方に参加していただいていることも嬉しいことです。

このコンパッション実践は、
「コンパッションの輪は私たちから始まります。
あなたは世界をより良い場所にすることに参加することができます。」

というCCT(コンパッション育成トレーニング)の願いとともに開催しています。

そのための時間を持つことは、自分自身の瞑想を深める機会にもなります。
無料で提供していますので、誰でも参加できます。
お誘い合わせの上、ご参加ください。


今回は、先月から始まっているウタ・コマラによる
「内なる智恵に目覚める」について、少しお話したいと思います。

内なる智恵に目覚める

このコースは、彼女が数年前のある時、内なる目覚めを体験したことが契機となって企画されました。
彼女がその内なる声に耳けた時、この智恵の声に気がつきました。

私がそのことを偶然知ることになり、そのことをいろいろ聞いていくうちに、
その叡智を分かち合う場を作ってもらえることになりました。

コースが始まる前から、ウタはそれまでの仕事のほとんどを手放し、
このコースにエネルギーを集中しているとのことです。

言葉では表しにくい体験を、どうすれば伝えられるのか。
そして、それを参加者自身が体験できるように導くにはどうすればいいのか。
そのプロセスに、彼女は真剣に取り組んでいます。

Oshoやカヴィーシャといった「生きた叡知」から直接学んできた彼女が、
自身の探究を通して得た智恵を、どのように言語化し、他者の内側にも届くようにできるのか──

そしてその智慧をどのようにすれば参加者の人たちが自分の内側にも見出せるようになるのか?

これらのプロセスは、非常に困難でありながらも、このコースをともに歩いている参加者の人たちにも、
その機会を与えられていることにも、心から楽しみ、感謝していると語っています。

サプライズゲストの体験──「死にゆくとき、瞑想は役に立つのか?」

そしてこのコースをさらに豊かにしてくれているのが、サプライズゲストの登壇です。

前回は、ハイキングの途中に25メートルもある崖から転落し、
奇跡的に途中に生えていた木に引っかかって、九死に一生得た体験を
した人がその体験を語ってくれました。

手足が曲がってしまうほどに骨折し、10箇所あまりの肋骨が骨折しながら、手につけたApple Watchが
その転落時の衝撃で自動的に救助発信をして、電話の電波が届かないところだったにも関わらず、
サテライトとの通信で救助隊が駆けつけ、ヘリコプタで搬送されて一命を取り留めた、
というのですから、驚くべき話でした。


その「レットゴー(手放し)」の瞬間の体験。
そして、彼が長年抱いていた問い──
「瞑想は、本当に死のときに役に立つのか?」
その問いに対し、彼は死の間際で瞑想がどのように自分を支えてくれたかを語ってくれました。

Oshoやカヴィーシャに導かれて真理を探究してきている人とともに
そのような探究の道を共に過ごすという機会は、稀なことです。

リーラ、プラサード、ヌラ、ミスティカ、ミラ。
Oshoとともに過ごし、ともに真理を探究していた人たち。

瞑想とは死によっては奪われない真理を探究する道でもあります。

コンパッション実践会も、そんな瞑想の機会でもあります。

コンパッション実践会
https://compassioneducation.jp/schedule#practice

OAU
えたに