他の人や自分自身に対して慈悲の心(コンパッション)を持つことができれば自分が生きる人生やこの世界に幸せをもたらすことができる。
仏陀やキリスト、この世に存在した聖者の人々の教えは、要約すればすべてこの一言に集約されるといっても過言ではないでしょう。
すべての悩み、苦しみから解放されるための教えがコンパッションであり、コンパッションとは何か? そのコンパッションの実践法を段階を追って解説した本がツプテン・ジンパ博士による著書『コンパッションーー慈悲心を持つ勇気が人生を変えるーー』でした。
しかし、この本を読もうとしたけれども、少し難しくて挫折した方も多いようです。
そこで今回、そのツプテン・ジンパ博士の元で学び、CCT(コンパッション育成トレーニング)の公認インストラクターの資格を取得したトーショーさんに読くための読書会を開いていただくことにを企画しました。
『愛を読み解く
「コンパッションーー慈悲心を持つ勇気が人生を変えるーー」読書会』
トーショーさんに読書会開催についての思いを語っていただきました。
OAU
えたに
日本人にとってコンパッション(思いやり、慈悲)は、自然な質かもしれません。
私たちは小さいころからお互いをいたわり合うように育てられてきました。思いやりをもつことは、私たちが生活していく上でとても自然なことだと思います。相手の気持ちを汲んだり、空気を読んだり、全体のバランスを考えて発言したり、行動することは私たちにとっては自然なことです。
ですからもうずいぶん昔になりますが、初めて海外に出て、別の文化に触れると、そこにいる人たちがものすごく自分勝手だったり、こちらのことを考慮しない振る舞いをしたりするのを経験して驚いたものでした。
そして自分も自分を主張しなければ、と頑張ったりもしました。
そのような経験を積んできて、理解したことがあります。
それは、日本人にとって自然な、無私の心はときとして本当の幸せをもたらさないということです。
また別の国々のひとたちにとって自然な自分中心の生き方もまた本当の幸せをもたらさないことも感じます。
人のことばかりを配慮して、自分に気持ちを向けないことも、自分のことばかりを優先して、人の幸せを考えないことも、どちらも本当の幸せをもたらさないのです。
自分の今までの人生を考えてみると、日本人的な特性を持ちながらも一生懸命西洋的な自分を大事にするという特性を養おうとしてきました。
そして3年近く前に大病をして、分かったことがありました。
一生懸命自分を大事にして生きているつもりでしたが、深いところでは、自分を否定してきていたのです。
これに気づいたのは、コンパッションとトレーニングの通訳を通して、自分が自分自身にコンパッションをまったく向けていないことに気づいたことがきっかけでした。
どんな自分であっても、その自分の幸せを無条件に望み、良いところも悪いところも含めて、ただそのままの自分を受け入れて、愛する、というコンパッションの基本的なはたらきを少しも自分に向けていませんでした。
みなさんはどうでしょうか?
何かを達成したり、何かについて優秀であって初めて自分を認める、ということはないでしょうか?そしてできない自分を責めていませんか?
コンパッションを自分に向けるとは、どんな自分であっても、どれほどできなかったり、ダメな自分であっても、それは問題外であるということです。ただあなたがそこにいるだけで、それで十分なのです。
人にコンパッションを向けるとき、その人が特別な人であることを条件にはしませんよね。
自分にコンパッションを向けるときも同じです。
私たちは特別である必要はないのです。ただ存在しているだけで、愛される価値があるのです。その愛のエネルギーを自分に向けることができると、人生が楽になり、幸せは簡単にやってきます。そして自分だけでなく、他の人たちも同じ目で見ることができるようになります。
大病は私が自分を否定していたことを教えてくれました。
すこしずつ自分にコンパッションを向けることができるようになることで、今まで思ってもみなかった楽な生き方ができるようになりました。
この読書会では、参加者のみなさんの経験を大事にしながら、コンパッションとはどんなものかを実感し、それを育てていくことができればと思っています。
皆さんのご参加をお待ちしています。
市場義人(トーショー)
*11月21日(木)までに第一回~第三回をまとめて申込みされると、1回分が無料になるお得なセット割引がございます。
https://oshoartunity.com/blog/post_lp/reading_group
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