もう10月も終わりに近づき、秋も深まってききましたね。
読書の秋、といいますが、今回はラハシャが以前リヴィングエナジー寄せていただいた記事をご紹介したいと思います。
秋の夜長に、自分の魂の生き方について考えるにもいいかもしれません。
「ある」自分と「なる」べき自分との疎外
存在の中のあらゆる生き物は植物であろうと、動物や人間であろうと、潜在能力を持って生まれてきており、その潜在能力を実現して自分自身を生きたいという憧れ、衝動、動因などを持っています。
これは花にとっては、自分という固有の花になることです。また種にとってはそれは種としては死ぬことを意味します。つまり大地から太陽への道を見つけようとする傷つきやすい若芽の挑戦を、荒天に耐えて最後に花として開くという挑戦に応ずることを意味します。
この潜在可能性の実現達成は保証されていません。いつ、いかなる時にも風や、洪水や、干ばつや、その他の大災害によって、その若芽が根こそぎにされ、死ぬ可能性があります。にもかかわらず、あらゆる生き物たちの欲望、あこがれ、衝動は、生きること、そして存在と共有されることを欲している、そして成長するためのこれらの内在的な資質を発見することなのです。
インドの神秘家「和尚」が講話のひとつで言っているように、植物の世界と動物の世界では、すでに彼らはその本質を生きています。
しかしそのプログラムはあらかじめ組み込まれたものです。犬は犬として生まれ、犬として生き、犬として死にます。彼らはその生の表現において自然発生的です。彼らは犬以外の何かになるべきかどうかなどとは考えません。
同じことがバラや、蓮の花、その他の花や植物にも起こっています。それは成長し、本来なるべく定められているものになるのです。またその成長において、それは一体性の中に生き続けます。どんな動物や植物も決して分離を経験しません。
どうやら人間は違うようです。人間は潜在的可能性を持って生まれてきます。その可能性に栄養を与え、それを発展させ、そのエッセンスを実現するのか、あるいはそれを忘れるのかは本人に任されています。
私たちが自分たちの文化、社会、家族などの考えに従って養育されるため、通常私たちは自分に本来備わっている潜在的可能性を発見することを、あまり支援されません。
私たちの全焦点は、周りの環境の要求に自分を合わせることです。私たちは何かに「なれ!」と言われます。そしてなろうとする努力の中で、私たちは自分が誰であるのかを考えることもなく、生涯の大部分をますます洗練された人格を作ることに費やします。
誰かが私たちに、自分のあるがままで「あれ!」と言ってくれることは非常に稀です。「なる」という条件付けを通じて、私たちは「ある」自分と「なる」べき自分との間に多くの分離の体験に苦しみ、すでにあるがままの自分から、自分自身をますます遠ざけてしまいます。
この疎隔こそがこの世の苦しみの主要な原因です。
ヒーリングとしてのカウンセリングとオーラソーマカウンセリングはこの苦しみに対するヒーリング・プロセスを始動させることができます。
今回、私たちがヒーリングと呼んでいるのは単なる肉体的な癒しではなく、マインドにある多くの誤解、そして傷を作ってきた過去の癒しでもあります。これらの傷は各人を取り囲み浸透しているエネルギー・フィールドである、オーラの中に運ばれています。
これらの傷は今回の生涯や過去世の中に起源を持っている可能性があります。どうやら苦しみのパターンは繰り返すようです。
家族に目を向けると、その苦しみのパターンは引き継がれ、祖父母から両親へ、子供から孫の代へと転写されていきます。その習慣、行動パターン、人生での困難、思い込みは非常に類似しているようです。これが私たちがカルマと呼んできたものです。
その条件付けの下で発見されるのを待っているのが、それぞれの人間の真の本性です。その真の本性にはどんな条件付けやどんな育ち、どんな人格も影響を及ぼしません。私たちはそれを私たちの個性、潜在的可能性、あるいはこの存在の中での目的と呼ぶこともできるでしょう。
オーラソーマはその美しい色と香りによって、私たちの個体性の一部であるこの内在的なエネルギーを反映します。バランスボトルの中の反映として、これらのエネルギーは肉眼で見て認識することができ、故郷に戻ることができます。その統一の中でヒーリングが起こり、自分の潜在的可能性の開放が起こります。
オーラソーマの素晴らしいところは、癒しを必要としている人自身が、あるがままの自分の反映としてボトルと色を選ぶことです。オーラソーマ・プラクティショナーは、クライアントが自分をもっと理解して、この生に本来備わっている潜在的可能性を発見できるようにするための、色彩の言語とそれらのボトルに秘められた叡知の翻訳者にすぎません。
カウンセリングもまた、同じ目的を持っています。
カウンセリングはクライアントが人格から個性へ動くことを助けるために、現在の心理学的洞察を使います。それは心身を超えて行くために心身の表現を使います。
内なる宝の扉の錠を開く鍵として、カウンセリングはそれが視覚的であれ、聴覚的であれ、運動感覚的であれ、嗅覚的であれ、味覚的であれ、言語、コミュニケーション、感情、情緒、肉体感覚、感覚的体験を使います。
これらの感覚的体験の背後に、実際あるものをすべて見つけることは、大いなる発見です。カウンセラーが自分自身の潜在的可能性と接触すると、彼または彼女が作り出すエネルギー・フィールドの中で、クライアントは自分の潜在的可能性と共鳴して、その覆いを取ることができるのです。
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カウンセリング 「内なる魂への鍵」Byラハシャ博士(オーラソーマアカデミー)
『LIVING ENERGIES4 』 より
リヴィングエナジー4号はこちら
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