もうすぐ「チャクラを開く体験」が神戸であります。
昨年の12月に、コマラとトーショーがやって、
今回は二度目の日本人講師として、
コマラとヴィジェイがリードします。
もうかれこれ30年以上、グループをリードしてきましたが、
ユニティ インスティテュートで、
講師として勤めるのは、初めての経験です。
初めての経験だと思うと、わくわくもしますが、緊張もします。
日本人講師として、立派に振る舞うべきだと感じてしまいます。
チャクラはみんなより開いているべきだ、とか、
ちゃんと解説できるだろうか?とか、
愛と理解をもって、みなさんとコミュニケートできるだろうか?とか、
不安になります。
これらの不安は、僕が日本人講師という立場に
自己同一化すればする程、生まれてきます。
そこに自己同一化があると、たくさんの
こうあるべきという考えが、生まれてくるからです。
そこにはプレッシャーがあります。
努力が必要となります。
そして緊張してきます。
どこかで、いつもこんなふうにはあり得ないということを知っているので、
そうあることができないことに、緊張します。
そして、素晴らしくない事柄に対しての、
たくさんの非難が起こります。
このプレッシャーと言うものが、
意識を絞り込むせてしまいます。
僕と言う広大な意識が圧力で縮こまってしまう。
そしてインテリジェンスもうまく機能しなくなってしまいます。
良い日本人講師であろうとして、
緊張でいっぱいになってしまうのです。
ハートの専門家のマスクを着けなければいけないとなると、大変です。
ハートフルな振りをしなくてはいけない。
本当はそんなに良い瞑想家ではないという気持ちを隠さないといけない。
これは何に自己同一化しても、起こってくる問題です。
何かに自己同一化すれば、
必ず良くなろうというプレッシャーと、
その対極の良くないというフィーリングが生まれてきます。
良い友達であること、良い恋人であることに、
自己同一化すれば、自分は良い友達や恋人ではないという恐れがありました。
すべてのアイデンティティは、
より良くなろうととするプレッシャーと、
失敗するのではないか、という恐れとの間を
行ったり来たりしているのです。
さて僕がより良い瞑想ティチャーとして振る舞おうとすればするほど、
緊張してくるし、また参加者のひとたちも、その緊張を感じるでしょう。
緊張がある場は、居心地良くありません。
もし僕がより良い瞑想ティチャーであるという
アイデンティティを手放すことができるなら、
リラックスすることでしょう。
そして参加者もリラックスします。
すると僕のなかにある本質も、参加者の本質も、
もっと簡単に振動し始めるでしょう。
僕はまだ瞑想ティチャーとして機能し続けるはずですが、
もっと有能になるはずです。
完璧にはなりませんが、もっと人間的で、
少し失敗はするかもしれませんが、
良いハート瞑想のガイドをするでしょう。
何しろ何十年もハート瞑想をして来たのですから。
これは誰かのお母さんであったり、
営業マンであったり、音楽家であったりしても同じことです。
例えば、音楽家のひとが、
有名な音楽家であることに同一化したとしたら、
音楽を演奏する楽しみを失ってしまいます。
何故なら意識がらそこに絞られてしまうからです。
こうあるべきだという考えから自由になったときに、
リラックスして、音楽家というタレントを楽しめます。
お母さんも、良い母親であるということに同一化しなくなったときに、
ただ母親であるという質にくつろげます。
例えば、部屋はちょっと片付いていないとしても、
完璧な母親ではないとしても、
もっと愛のある関係が生まれます。
アイデンティティを超えても、
自分の仕事は何であれ、それは続いて行くのです。
こうあるべきだ、といった考えも続いていくでしょう。
でも、その同一化している役割から離れるとき、
実際には僕らの持っている仕事や関係性は、
もっとより良くなっていきます。
そこで何が消えてしまうかというと、
緊張が消えるのです。
プレッシャーがなくなります。
それでも僕は最善であろうとは、するでしょう。
緊張もプレッシャーもなく、
でも自分のできる最善のことを仕事のなかですることは、
楽しいことになるはずです。
スター・ウォーズの
「フォースと共に在れ(May The Force Be With You)」をパロって、
プラサードやアルビナ、リーラがいつも言ってくれてた言葉があります。
May The Heart Be With You
ハートともにありますように。
辻本恒(ヴィジェイ)
ユニティインスティチュート講師
https://mysticunion.wixsite.com/chakra
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