【WS】空の鏡──すべてを映し、何にも染まらない本質へ戻る

今日の午前中、アルヴィナの「奇跡として生きる」ハート瞑想がありました。
参加者のシェアには、とても印象的な気づきがいくつもありました。

長いあいだ胸につかえていたものが、
瞑想の途中でふっと手放されていた人。

そして自分でも驚くような新しい理解が
呼吸とともにふいに訪れた人。

アルヴィナはこう語りました。

「思い出し、繰り返し、実践し続けること。
 それがハートの扉を開く鍵なのです」

私自身、ラハシャのコンシャスリヴィングのサポートメールを見直していて、
何十回と読んできたはずのテキストから、
毎回新しい気づきと学びがあります。

それもそのはずで、
コンシャスリヴィングでは、瞑想は単なる“練習”ではなく
「学習原理」そのもの として扱われています。

つまり、
「瞑想とは何か?」
「気づきとは何か?」
「プレゼンスとは何か?」
そして
「それらを日常でどのように生き、実践していくのか?」

これらすべてが体系的・段階的に深まるように
設計されたプログラムなのです。

今日はその中から、少し上級編になりますが、
“気づきとは何か?” を扱うラハシャの言葉の一部をシェアしたいと思います。

ラハシャの言葉(「気づきとは何か?」より)

また別のたとえでは、(気づきは)テレビの画面と言えます。

テレビの画面は完全に中立的です。
どんなドラマが映されても影響されません。

映画が流れ、生命が演じられていても、
スイッチを切れば画面そのものは始めと変わらず、ただそこにあります。


同じように、私たちの内側にある“気づき”、
すべての経験に気づいている“それ”は、
いつでもここにあると言えます。

この背景がなければ、どんな経験も不可能でしょう。

これはとても高度で、奇妙に聞こえるかもしれません。



「わからなくて当然」──これが入口だから

この話がすぐに理解できないのは、まったく正常です。
気づきとは、頭で説明できる概念ではなく、
体験の中で“腑に落ちてくる”種類のもの だからです。

今はただ、
「気づきは“画面”のような背景にある」
という感覚だけがつかめれば十分です。

理解は、後から静かに追いついてきます。

映像ではなく“画面”に気づくということ

私たちは普段、
悲しみや怒り、焦り、期待、不安、喜び……
“映し出されるドラマのほう”に心を奪われます。


でも、本当に大切なのは
そのドラマが現れている “画面そのもの” に気づくこと。

画面は傷つかず、
汚れず、
判定もせず、
ただそこに“空として存在”しています。

あなたの内側にも、
どんな経験も優しく抱きとめる“気づきの空間”があります。

この空間に触れられるようになると、
人生のドラマをより自由に、より軽やかに
生きられるようになります。

今日のどこかで、
心がふっと静かになる瞬間があったら、
胸に手を当てて、こう感じてみてください。

「今、この体験を観ている“気づき”がある」


その一瞬が、
あなたを“空の鏡”へと戻してくれます。

あなたの本質は、
どんな経験にも染まらない、静かな広がりそのものです。

それでは、今日も素敵な一日を。

えたに