【WS】明晰に見るとは? 第三の目 第6チャクラのテーマ

今回は、ラハシャのオンラインコース、

「コンシャスリヴィング」からの一節をご紹介します。

第三の目 明晰に見るとは何か?

ということについてです。

(ラハシャの動画より)

前回の章では 
思考のフィルターを通すことで

何が起こるか どのように
現実を見るかをみてきました

メガネに思考を書いたのを覚えていますか?

そしてメガネをかけて 
私たちの解釈を通して
思考を通して現実を見ました



そしてメガネを外して 
その違いを見ました

では その違いは何でしょう?

その違いは 

「明晰に見る」ということです

私たちの思考やマインドの障害物のない状態で

今日は 
明晰に見るとはどういう意味なのか

現実をあるがまま見るとはどういう意味かを
より深めていきたいと思います

そのためには 
私たちが明晰に見ることができるのは

私たちの人格が中断しているとき
私たちの物語が中断しているとき

出来事や物や経験に同一化している
自己の感覚が中断したときにのみ

それができるということを
理解しなければなりません


ものごとを明晰に見る

というのはどういうことなのでしょうか?

それはものごとをあるがままに見る
ということです。

何の先入観を持つこともなく
何のラベルを貼ることなく

どんな解釈もなく
どんな思考もなく

人格をそこに介在させることなく
これまでの物語は脇に置いて

過去の記憶や経験もなしに
マインドを挟むのではなく

マインドなしに
無心に見るということです

空(くう)のスペースから
ものごとを見ることです。

これまでの思考のフィルター
信念やマインドからの解釈なしに見ることです。

私たちはいつも頭で考えているので

明晰に見るとは
明晰に考えることだと思ってしまいます。

しかし、考えた途端に

いろんな思考や解釈や
信念が介在してものごとを見ることになります。

明晰に見るとは、
それらのマインドなしに観ることです。

それはとりもなおさず、

瞑想の状態の中で観る
ということになります。

ただ、気づくということです。


私の好きなOshoのたとえ話があります。

それは、ある部屋に入れられた人が
その部屋を出ようとするときに

目が見える人は
出口を見たら、
そこからすぐに出ることができます。



しかし目が見えない人は
壁のあちこちに頭をぶつけながら
手探りでなんとか出口を見つけます。

それが頭で考えてものごとを理解しようとしている人の

状態だというのです。

目が見えていたら、
考えることさえも必要がないというわけです。

考えるということは
出口がわからずに

あっちだろうか、
こっちだろうかと

いろんなことを考えて、
推測することだとOshoは言います。

明晰に観るとは、
ただ第三の目を開けてものごとを

あるがままに見ることです。

そうすると、
考えることなく、わかります。

ただわかってしまうのです。

それは直感とも言われます。


ではそれはどういうことなのでしょうか?

ラハシャは語ります。

『今日は 
 明晰に見るとはどういう意味なのか

 現実をあるがまま見るとはどういう意味かを
 より深めていきたいと思います

 そのためには 
 私たちが明晰に見ることができるのは

 私たちの人格が中断しているとき
 私たちの物語が中断しているとき

 出来事や物や経験に同一化している
 自己の感覚が中断したときにのみ

 それができるということを
 理解しなければなりません』


まずは、

それができるということを
理解するところからはじまります。

「ありのままに見る」

第6チャクラは気づきと瞑想がテーマです。
https://oshoartunity.com/blog/post_lp/love_freedom_part6

OAU
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