「本質に目覚めたらどうなるの?

「本質の目覚め」って、どういうこと?


朝、眠りから目が覚めときには、
「目覚めた」ことがわかりますけど、

「本質の目覚め」と言われても、

非常に抽象的だし、言っている意味がわからない、
と思われるのではないでしょうか。


それに、本質に目覚めたからどうなんだ? 

って突っ込まれそうです。


そもそも「目覚める」という言葉も、辞書を引いてみると、

眠りから目覚めるという意味だけではなく、

感情・知覚・本能などひそんでいたものが働きだす
という意味(「性に目覚める」)と、

迷いが消え去って本心に立ち返る
という意味(「現実に目覚める」)の

3つの意味があります。


実は、UIで提供しているコースである、
「本質の目覚め」は、

これら3つの意味の「目覚め」が含まれています。


私たちは日常生活、つまりは人生をマインドを使って生きています。
ほとんどマインドだけで生きていると言っても過言ではないでしょう。

でも、それって、仏陀やキリストなど目覚めた人によると、
眠りの人生で、幻想に生きているようなものなんですね。

なので仏陀のように悟りを得ることを覚醒するって言いますけど、

本質に「目覚める」というのは、
マインドの作り出す夢や幻想の眠りの世界から目覚める、
という1つ目の意味があります。

そして「本質」というはもともと生まれながらに持っていますが、
それは内側にひそんでいて、気づいていないことがほとんどです。

ですから「本質に目覚める」というのは、
思春期になると性に目覚めるのと同じで、

本来内側にひそんでいるのに気づかなかったことに目覚める、
という2つ目の意味があります。

そして、迷いというのはマインドによって生み出されるものなので、
本心に立ち返って「現実に目覚める」のと同じように「本質に目覚める」、
という3つ目の意味もあります。

マインドにいるときには本質は見えませんが、
本心に立ち返れば、本質こそ現実ともいえるでしょう。


じゃぁ、その「本質」ってなんだ? 
ということはさておいて(言葉では説明できないので)、

本質に目覚めたらどうなるんだ? 

ってことについて少し書いてみます。


そこで思い出すのは、僕が大好きな、渦から脱出するOshoの話です。


Osho は泳ぎの名手で、よく川で泳いで時間を過ごすことが多かったそうです。

とりわけ雨が降って水かさが増した川を泳いで渡るのが好きだったようです。

そのような川にはいくつもの渦ができるそうなのですが、
Oshoその渦に巻き込まれるという実験が非常に好きだったのです。

それは非常に危険な実験で、
彼はよくそのような冒険を「気づき」を研ぎ澄ませる
ためにやっていたようなのです。


それはともかく、その渦に巻き込まれるという実験というのは
どういうことかというと、

渦というのはその表面では非常に力が強く、
その渦に逆らって抜け出そうとすると力尽きて
溺れてしまうんだそうです。

多くの人が渦に巻き込まれて溺れるのはそのためです。


しかし、その渦に逆らわずに、
渦の終わる底まで巻き込まれて行くと、

渦の中心の底では渦の力がなくなって、
自然に渦から抜け出せてしまうんだそうです。


それってどういう意味なんだろうって考えたときに、
それはマインドの渦のようなものじゃないかと思い当たります。

私たちは、たいていは、
マインドや感情の渦に巻き込まれまいとして逆らって、

結局はその渦の中で苦しみ、もがき、
力尽きて溺れてしまったりしているのではないでしょうか?

でもその渦の中心へと入っていけば、
そのマインドから抜け出すことができます。

それはちょうど、意識の多重構造マップの中心に入るようなものです。
https://unityinstitute.jp/ishiki_map.html


そうしたときに「本質に目覚め」、
マインドの苦しみの渦を抜け出て、
新たなる世界へと浮かび上がるのです。

それが本質を生きる世界です。


つまり、本質に目覚めるっていうことは、

マインドの渦から抜け出して、
別の次元、本質の世界に目覚めることです。


本質に目覚めれば、

お釈迦さんのような悟りとまではいかなくても、
それに近い気づきは得られます。

しかも「本質」というのは「性」と同じで、
どこか自分とは別のところにあるものを獲得する必要はなくて、
本来内側にあるものです。

だからこそ「本質」なわけで、
生命(いのち)のエネルギーとつながることでもあります。


その本質とは、言葉でいえば、愛、調和、勇気、安らぎ、
くつろぎ、明晰性、尊敬、決断力などのエネルギーと
いうふうに定義されていますけど、

それは本質にあるエネルギーなので、

マインドで考える愛、調和、勇気、安らぎ、明晰性、
決断力とは違うものなのです。

この違いは体験としてわかるものです。

そして、その本質に気づけば、愛であっても、
外側に求めなくても、内側に見出すことができ、
その愛を分かち合うことができるようになります。

それは愛憎や嫉妬になる愛(マインドからの愛)とは
違うものです。

その違いを体験していただくために、
この「本質の目覚め」のコースがあります。

そういう「本質」を体験してみたい人、
その本質を生きたいと思う人、
そういう生き方に興味がある人は、
ぜひこのコースで体験してみてください。
https://oshoartunity.com/blog/archives/14740

ユニティインスティチュート
江谷 Gatasansa