「一粒の砂にも世界を
一輪の野の花にも天国を見、
君の掌のうちに無限を
一時(ひととき)のうちに永遠を握る。」
岩波文庫ブレイク詩集 松島正一訳
18世紀から19世紀にかけてのイギリスの詩人、
ウィリアム・ブレイクの有名な詩です。
友人と話しながら、
私たちが認識している世界について考えていました。
私たち、ひとりひとりは、
目の前にある物事についても、
それぞれ異なる認識を持ちます。
もちろん、同じような認識を共有することはあるけれど、
100パーセント全て同じということは、
まずないのではないでしょうか。
だから、そこには葛藤が生まれ、
対立が生まれ、分離が生まれ、
私たちは苦しみます。
今、自分の眼に映る世界こそ現実で、
紛れもない事実だと、誰もがそう信じています。
そのようにしか映っていないなら、
それ以外の現実があるなどと、
どうして想像することができるでしょう?
それは殆ど不可能です。
自分が生きる現実世界を、
私たちは自分で作っているのです。
少し前に第一チャクラのワークをしていて、
この肉体、何十兆個という細胞で構成された身体の中に、
限りなく広大な空、スペースが広がっていることに驚きました。
どんな境界もなく、果てしない空―。
私たちは、物質としての身体に触れることもできるし、
非物質としての身体、そこにあるスペースに触れることもできます。
あるいは、そこにある物質を見ることができるように、
物と物の間にある空間(スペース)を見ることもできます。
そして、音を聴くことができるように、
沈黙にも耳を傾けることができる・・・。
最初、それには、努力と練習が必要です。
やがて、練習を重ねるにつれ、
そのコツが分かってきます。
すると、その味わい深さから、
体験を重ねることが歓びになってくるのです。
私たちの認知は、その対象が変わることで、まるで異なってきて、
その時には、もはや同じ世界に、私たちは生きていません。
有形に目をやるときには、
見ている者がそこにいて、
ゆえに分離が生じます。
無形の、スペースに気づきの焦点が合っているとき、
そこには見ている者はおらず、
すべては広大な空の中でひとつです。
それは、圧倒的で美しい体験です。
葛藤や対立を、分離を超える唯一の鍵、
それは〈沈黙と空〉にあるのだと、あらためて感じています。
そこは、個人の平安と、世界の平和が宿る場所です。
尾崎智子
https://essentiallifeconsulting.jimdo.com/
最近のコメント