ここに愛と信頼についての美しい詩があります。
Oshoの言葉は対機説法なので、その話す相手、時と場合によって、その言葉の意味は異なってきます。
「愛」と「信頼」という言葉についても、Oshoが語りかける人々によって、その意味は異なってきます。
こではOshoは彼の弟子に向かって語りかけています。
そしてそのOshoに質問した弟子は、自らの体験をOshoに吐露し、その体験の意味について質問しています。
明後日の日曜日にアルヴィナの「ハートの信頼」についてのオンラインのクラスがあります。
信頼のついてのOshoの言葉をご紹介します。
信頼の深みを体験してみたい方は、アルヴィナのハートのクラスは助けになるでしょう
<質問>
「Osho。あなたの弟子になって8年、あなたと存在に対する私の信頼はますます強くなりました。
あなたと一緒にいると、私の目は涙でいっぱいになることもあれば、波が私を溺れさせるような深い沈黙が訪れることもあります。
信頼は私の存在から、愛は私のハートから生まれているのでしょうか?
何が起こっているのか、あなたの光を当てていただけませんか?」<Osho>
あなたの質問はそれ自体に答えがある。
あなたはハートと存在(Being)とを明確に区別している。信頼は存在に属する。それは永遠の一部だ。信頼は存在に属するものだから、愛が変化するようには変化しない。愛はハートに属し、ハートはとても気分屋だ。愛に満ちているときもあれば、まったく空っぽのときもあり、踊っているときもあれば、喜びの涙を流しているときもある。
ある季節が来れば雨が降り、別の季節が来れば夏になり、また別の季節が来れば冬にもなる。季節は移ろい、愛も移ろいゆく。
あなたの存在に大きな革命が起こらない限り、あなたの愛もまた深く潜り、信頼とひとつになる……
そうなれば、信頼と愛というふたつのものが存在するのではなく、信頼と愛だけが存在することになる。そうすれば、いつも同じ平和な喜び、同じ静かな愛のエネルギーがある。
しかし、愛は信頼と結びつかなければならない。信頼だけで十分だ。もし愛もそれに加われば、よりジューシーになり、より多くの花や香りがつくだろう。
愛の変化に注意を払いすぎてはいけない。それが愛の本質なのだから。
受け入れることで、ゆっくりと、ゆっくりと愛は深まり、信頼と手を結ぶようになる。ひとたび愛と信頼が結びつけば、信頼はとても力強く、愛の本質そのものを変えてしまう。
しかし愛にはダンスがあり、美があり、栄養がある。信頼はより美しく、より栄養があり、よりジューシーで、より至福のものとなる。そうすれば、あなたの中で大きな根本的変化となるだろう。
しかし、それをしようとしてはいけない。あなたにとって可能なことは、ますます強い信頼を持ち続け、すべての愛の季節を同じ態度で受け入れることだ。
それが微笑んでいようと、目に涙を浮かべていようと、それが何もない砂漠であろうと、花でいっぱいの庭であろうと。歌う歌があろうが、ただ沈黙していようが、すべての季節を受け入れなさい。
愛は変化するエネルギーであり、何も間違ってはいない。あなたが受け入れることで、ある日、あなたの存在が飛躍的に変化し、愛があなたの信頼に加わるだろう。
その間に、信頼をますます強くなるだろう。そうすれば、信頼は愛の変わりやすさを変えるだろう。すべての季節は消え去り、常に春でありつづけるだろう。
ここでOshoが語っている信頼は、誰かを信頼する、という意味での信頼ではなく、信頼の本質そのものについて語っています。
そんな信頼の本質を体験してみたい方の機会が、アルヴィナがガイドする「信頼」のクラスです。
https://oshoartunity.com/blog/post_lp/heart_event_3_trust2
OAU
えたに
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