【WS】パートナーポートレイトを描く

OSHO & Meera Festival 最終日に行われるのは、
フルワリとトーショーによる
「パートナーポートレイト」のワークショップです。

トーショーは、コンパッションの公式ティーチャーとして、
日々の実践会のガイドや読書会、
また海外講師の通訳としても活動しているので、
すでに親しみを感じてくださっている方も多いかもしれませんね。

今回トーショーから届けられたこのテキストは、
そうした日常の実践の延長線上にありながら、

ミラとの長年の学びと、
絵を描くことを通して深められてきた
トーショー自身の体験から生まれたものです。

フェスティバルのクライマックスを迎えたあと、
言葉を超えたところで起こる、
とても誠実で本質的なワークショップが行われます。

以下は、
そのワークに向けてトーショーが綴った文章です。

どうぞそのまま、
トーショーの体験から立ち上がる感覚を感じながら
読み進めてみてくださいね。

OAU
えつこ

パートナーポートレイトを描く

OSHO and Meera Festival、最終日、4月5日(日)にトリを飾るのは、2時間のワークショップ、フルワリと

フルワリ

トーショー(私)

トーショー

によるパートナーポートレイトです。

4日間のクリエイティビティの探究と盛り上がりの後、静かに、そして深く内側につながっていく繊細なワークが提供されます。

https://oshoartunity.com/blog/post_lp/creativity-festival2026_4-5pm

でもみなさんは、ポートレイト?それもパートナーと?って、思われるかもしれませんね。

そこで少しパートナーポートレイトについて、2回に分けてお話したいと思います。

人の顔を描くとなると、私たちはつい自意識を感じてしまいます。

ちゃんとうまく描けるだろうか、とか、変に描いたら相手が嫌な気持ちになるのでは、とか、そこに今までの人生のありとあらゆる経験が押し寄せて、私たちをしばってしまいます。

ポートレイトには不思議な力があります。

もちろん人によって技術の違いはありますが、それがポートレイトの本質ではないのです。

ポートレイトを描くことの喜びを経験するのには、絵の技術は必要ありません。

絵画の歴史は写真の登場によって大きく変わりました。


出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

それまではどれだけ実物に似せて描くことができるか、それが絵画の持つ意味でした。

そして同じ技術を用いて、目に見えない天使や天界の様子を描きました。見る人はそれが存在すると感じたはずです。

しかし、写真が登場することで、画家の役割は変わりました。

すでに存在するものにうまく似せて描写する役割は写真が担っています。

画家はどうなるのでしょうか?絵は存在しなくなるのでしょうか?

そうではありませんでした。

写真が登場したことによって画家たちは写実の束縛から自由になり、絵を描くという衝動の本質を探究することができるようになったのです。

そして絵画の本質は、正確な描写そのものの中にはないことが分かってきました。

技術があれば、それは役に立ちますが、意識が描写だけに向かうと絵画の本質が見失われます。

これが絵を描くということの不思議さです。

人間の心が筆を持ち、心が紙の上に色や形を描きます。

あるとき、ミラのトレーニングの中で母親のポートレイトを描くことがありました。

それは想像の中で母親を思い描きながら描くものだったので、そっくりに似せて描くことはできません。

そのとき、母親の頬の部分や顎の部分を何度もなぞっていました。

正確な描写という観点からはそれは不必要なことだったかもしれません。

でもどうしてもそうしたくて、少しずつ、優しく微妙なタッチで何度も同じ場所をなぞりました。

すると、そこに不思議なことが起こりました。

何度も何度もその部分をなぞりたいというその気持ち、そしてそこに姿を現わしてくる筆の勢いや色の重なり、強さ、柔らかさ、こういったものが自分の内側から外に出たがっていた何かが形を取ることを可能にしてくれたのです。

その衝動が完結したとき、母親と深くつながっている感覚がありました。それが起こっているのは、内側深くであり、そのエネルギーは私を包んでいました。

絵画には不思議な力があります。

それは筆をもって、色を紙に置いていくことでしかふれることができない何かを呼び出すことなのです。

時にはダンスの中で、あるいは歌の中で表現される同じものが、筆と色を使うことで表現されます。そしてその表現は、実際に手を動かし、色や形を見るまでは完了しないのです。

このようなとき、絵画は自分の内側のエッセンスを生きるための媒介になっています。

パートナーポートレイトは、そういったエッセンス同士の出会いになり得ます。

相手の写真を撮るポートレイトとは違い、パートナーを見ているのは(そして感じているのは)私たち自身です。

ここでは内側のエッセンスは、パートナーのエッセンスと呼び合い、響き合って、一人で描く絵とはまた違った、重層的な現象になるのです。

そこで起こり得る出会いは、パートナーの深みの発見であり、同時に自分自身の発見でもあります。

このことは次回の案内でいっしょに探っていきたいと思います。
https://oshoartunity.com/blog/post_lp/creativity-festival2026_4-5pm

トーショー