「意識」とは何か?
という問題は、いまだに解明できない難問の一つとされています。
科学、哲学、心理学、スピリチュアルな伝統のあらゆる領域で、何千年にもわたって探究されてきたテーマとなっています。
意識(Consciousness)とは、一般的には、
「自分が存在していることを自覚している状態」
「内側や外側で起きていることに気づいている状態」と定義されています。
脳科学では、意識は脳の働きと考えられていますが、「意識がどこから来るのか」はいまだに解明されていません。
これは今の科学では解明できない「ハード・プロブレム(難問)」だとされています。
しかしOshoは、意識はその性質上、そもそも科学的な方法論では解明できないものだと洞察しています。
これに対して東洋の知恵、とりわけ仏教やヨーガ、Oshoやラマナ・マハルシなどの教えでは、
意識とは「本来の私たちの姿」であり、すべての経験の背景にある存在そのものとされています。
さらに、意識とは個人の気づきを超えて、宇宙そのものが持っている「目覚め」の力であるという考え方もあります。
この考え方によれば、「意識は脳に宿るものではなく、脳が意識を受信する装置である」とか、
あるいは「私たちは“意識の海”の中にいて、そこに個々の“波”として存在している」と考えられたりもしています。
このように意識とは何かについて、さまざまな定義や考え方がありますが、明らかなことは、意識は思考(マインド)を超えたものであり、頭で理解することはできないし、意味がないということです。
意味があるとすれば、その意識を自らが体験し、それを自分の人生に活かすことができた時です。
そのことを身をもって私たちに教えてくれた人がOshoであり、そのための意識のマップをもたらしてくれたのがラハシャです。
そもそも、どうして私たちは、意識的である必要があるのでしょうか?
どうして私たちに意識がもたらされたのでしょうか?
意識を持つことで、私たちは何ができるのでしょうか?
わかっていることは、意識的である人ほど、至福と喜びの中にいて、静けさと愛や慈悲の心を持っているということです。
その実例が覚醒の意識を持つに至った仏陀やキリスト、老子やOshoなどの覚醒を得た存在です。
そして無意識の中に生きている人は「ペインボディ」(痛みの身体)をその無意識層に作り出し、それが人々に不幸の種を作り出していきます。ラハシャはそのメカニズムを「苦しみのアート」というコンシャシリヴィングの動画の中で語っています。
私たちは苦しみや不幸の種を、無意識の中で、自分の中に作り出しているのです。
意識的に生きるとは、そのことに気づくことによって、自らの不幸の種を幸せへと変容していくアートを手に入れることです。
私たちに意識がもたらされた時、私たちは動物から人間へと進化しました。
しかし、その意識を持ったまま、無意識でいることは、不幸の種を自分の中に蒔いていくことになってしまいます。
私たちの生物的な進化のプロセスは、動物から人間になったところで止まりました。
猿から人間になったところで、進化のプロセスが止まったように見えます。
それはなぜか?
それは自分に与えられた意識を進化させるのは私たち自身の手に委ねられたからです。
その意識の進化の手がかりをもたらしてくれているのが、意識の地図です。
そのような意識の地図を考案したラハシャは、意識の進化のためのツールを私たちにもたらしてくれた天才ではないか、と密かに思っています。
それはともかく、私たちが人間として生まれ、私たちにもたらされた意識の進化を歩む旅を歩みませんか?
それがラハシャのコンシャスリヴィングへの招待です。
「意識的な生き方を深める」
OAU
えたに
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