瞑想と回復力

日常生活や困難な状況の中での瞑想の効果

瞑想は、日常生活の中でも、つらい状況の中でも、自分の感情的誠実さと強さを構築し、あるいは維持するための鍵です。

瞑想を勧められたときのあなたの最初の反応は、おそらく「ええ、瞑想するのはいいことだと思います。いつかやるつもりです──たぶん、後で。後日やります。でも今じゃありません! 今は時間もエネルギーもないので」というものでしょう。

瞑想は、緊張を解いて、回復力を構築して維持するのに本当に役立ちます。ですからあなたに時間やエネルギーがないのなら、あなたには瞑想が必要なのです。



シャロン・ザルツバーグは、米国のGarrison Instituteが運営するプログラムに勤務して、何年間か家庭内暴力保護施設のワーカーたちに瞑想とヨガを提供したのち、この施設の管理責任者や監督官たちにも教えています。

彼女はまた介護師のためのリトリートも運営しています。彼女の見解では、瞑想は「介護における回復力の鍵」です(ハフィントンポスト、2010年3月)。

それは私たちも共有する見解です。加えて、瞑想は私たち自身の病気や死に対する回復力の中心でもあります。

「介護という熟練した関係性はすべてバランスに依存しています」とシャロンは述べます。

「自分のハートを限りなく開いていくことと、自分ができることの限界を受け入れることとのバランスなのです…。

思いやりと落ち着きのバランスが、私たちが心から気遣うことを可能にし、しかも介護するそのことに圧倒されて対処不能にならずにいられるのです。

人生で私たちがどのような枠割を演じているとしても、彼女はこう言います。

「瞑想は、怒りや恐れや無力感といった自分の困難な精神状態を、自責の念ではなく、思いやりをもって見るのを助けてくれます。

それはまた、どのような状況においても、私たちが思いやりをもって他人とつながるのを助けることで、人生の嵐の際の避難所を提供してくれるのです。

「特に先行きが不確実で苦しい時期には、瞑想は私たちの視野を広げ、私たちの勇気を深めます。

バランスの取れた気づきと思いやりによって自然に生じるマインドの広大さとハートがより安らいでいることは、回復力をもつ精神の基本的要素です。

それらは私たちに、自分が置かれている条件によって決定されない、また自分が現在の努力の中に見ている「成功」や「失敗」の量で定義されない、一種独特の幸福をもたらします。

瞑想は私たちが何度も何度もこの独特な幸福に帰るのを助けてくれます。」

瞑想があなた自身の幸せのために不可欠なだけでなく、あなたが瞑想の実習に精通していることは、あなたが他の人を瞑想に導く場合にももっと自信をもてることを意味します。

回復力を構築し維持するためのさらなる提案については、「回復力」を参照してください。

ローズ・ガントナー博士(教育学)の関心領域は、職場での回復力の鍵としての瞑想です。

とはいえ、彼女が指摘した論点はどのような状況でも妥当します。

彼女は、瞑想は私たちが健康を回復したり維持したりするのに役立ち(回復力の基礎となる)、また「冷静な自己主張と感情的な機敏性をもつ」のを助けてくれるという見解を述べています。

瞑想で感情を管理する


それを受け入れ、それを表現し、それを流動させ、それを解凍し、それを観察する
──これらはあなたがどんな気持ちでいるときでも、自分を支援するための瞑想的アプローチのうちのいくつかのやり方です。

「eモーション」という名が表すとおり、感情は動きます。 感情装置の命ずるままに、感情は来ては、また去っていきます。

しかし私たちが感情がそこにないふりをしたり、その感情に蓋をしたり、それと戦ったりすると、あまりにもそれらの感情に絡みとられて、私たちは自分が感情とは別であることを忘れて、感情で身動きが取れなくなるかもしれません。

活動が意識と結びつくと、それは瞑想的になります。瞑想とは感情を取り除こうとすることではありません。瞑想は私たちが感情を手放すのを助けることができるのです。

つまり逆説的ですが、私たちの出発点とは積極的にその感情と一緒にいようとすること、その感情を受け入れることなのです。

「感情のジェットコースターの上で落ち着きを見つける」を参照してください。


以下は困難な感情を管理する方法のためのいくつかの提案です


* その感情があることを認めて、それを受け入れます。
たとえば、恐怖、罪悪感、恥ずかしさ、悲しみ、あいまいさ、絶望などです。ただそれと「一緒に」います。

一緒にいるというのは、今度はそれを愛しなさいと言っているのではありません。その感情をまったく判断しないでいようとすることです。

ただこう理解してみます。
「そう、今のこの瞬間にはこの気分が存在する」と。

ここでは、「サッチネス(The Suchness strategy)」戦略や「三回気づく(Take Note Three Times)」が役に立ちます。


* 蓋(ふた)を緩めてその感情が出ていくのに任せます。

怒りのような「熱い」気分では、感情の瞑想的な気づきを許容するのは、より難しいかもしれません。

微妙な抑圧が起こるかもしれません。
そうなると私たちはただその感情を下に押しやり、無意識レベルに溜め込むことになります。

これらの熱い感情の場合は、少なくともある程度の圧力を逃がすまでは、かえって、それらの感情を意識的に表現するのが役立ちます。

注:それはあなたの怒りですから(他の誰かがその引き金を引いたのかもしれませんが!)、他の誰かの上に投げ捨てるのは適切ではありません。

そうする代わりに、あなたが一人のときにそれを放出する方法を見つけるのです。「感情を許容する」を参照してください。

可能なら、森の中や海のそばを散歩してください。

あるいは、あなたにそのエネルギーがあるなら、走るといいです。さもなければ、「Oshoクンダリーニ」瞑想が室内で行える穏やかな形の解放を提供しています。

大声を出したり、枕を叩くのも役立つことがあります。

ベッドから出られない場合は、「ジベリッシュ」や「フェイスオフ(Face Off)」を試してください。

そうすれば、残っている怒りと一緒にいたり、それを内面から見たりするのもより簡単になるでしょう。


* 詰まっているエネルギーを流動させます。怒りではなく、恐怖の解決が難しいかもしれません。

怒りと違って、恐怖は冷たい感情です。

それは私たちに麻痺効果を及ぼす傾向があるため、私たちは萎縮して内面的に崩壊しかねません。

すべての感情がそうであるように、恐怖にも「ポジティブな意図」があるのですが、それが私たちを生エネルギーから切り離すようなら、私たちはそれをどのように転換させるかを知らなければなりません!

アメリカの精神科医ジェローム・リス博士は次のように言います…。

「私たちが脅威にさらされていたり、気がついてないストレスにあるときには、動く必要があります。そうしなければ、全身が不調になります。

医学用語的には、これは副交感神経節と呼ばれます。 私はそれを行動休止臨時修復と呼びます。

これはまた、私たちが深い感情的混乱の後でそれを表現しないでいると、しばしば憂鬱状態に陥る理由を説明してもいます。」[1]

冷たい感情は、進展させるためには「温める」必要があります。

もし可能であれば、踊ることです──恐れをダンスにして、自分の恐怖を動きで表現するのです。あるいは「ジベリッシュ」や「Oshoクンダリーニ」を使ってください。


* 対極の気分を活性化させます。これは恐怖のような特定の感情に働きかけます。

恐怖の対極の感情は愛です。あなたはこれを生理的レベルで体験できます。

私たちが恐怖の中にあるとき、私たちは萎縮し、自分の中に閉じこもります。

愛の中では私たちは開いて、拡大しています… 相手に手を差し伸べたいのです。

開くことと閉じること──恐れることと愛すること──は同時にはできません。

ですから、私たちが愛情のある空間にいる頻度が高まれば高まるほど、ますます恐怖を経験することが少なくなるのです。

「ハートの安らぎ(Peace in the Heart)」や「アファメーション」はあなたをそこへ連れて行けます。

不安による萎縮を解除するには、「拡大をイメージする(Imagine Expansion)」や「自分を光で満たす(Fill yourself with Light)」がいいでしょう。


* センタリングの感覚を見つけます。

絶えず変化しつづける感情とともにいると、あなたはまるで自分が荒海に翻弄される小さな舟のように感じるかもしれません。

センタリングは内面のバラスト(安定器)を提供します。

自分の中心とつながっていることは、あなたが常にいくらかの平静な感覚を保っていること、少なくともそのスペースを知っていて、そこに戻れることを意味しています。

センタリングの場所は、ヘソの内側のすぐ下です。それはハラまたは「中核」として知られています。

「ハラを意識する(Hara Awareness)」や自分のハートに中心を見つけることは役立ちます。 「ハートの中の安らぎ」を参照してください。


* 内なる調和の感覚を回復して、リラックスする。

「ワン・メソッド」または「フォーステップ・レットゴー」を使います。


* 自分を現在に連れ戻す。

これは、私たちの恐れが未来と関係しているときに(いつもそうですが)、素晴らしい解毒剤です。

例えば、自分が受ける次の試験についての恐怖とか、自分の死の瞬間がどうなるかとか、もし来世があるなら何が自分を待ち受けているのか、などなど。。。

事実は次のとおりです。未来のことはわかりません。仮想上のものです。

まだ存在していない何かについて心配するより、むしろあなたは意識的に現在の瞬間に戻ることができます。

そこでは、あなたは、今ここには、恐れがないことに気づくことができます。


* 内側から見守り、目撃し、観察します。

思いついたらいつでも、これを実習します。

ただ内面の空間に焦点を合わせ、湧き上がってくる感情や思考を見守ります。

本質的には、「私はこの悲しみ、イライラ、恐怖…ではない」と自分に思い出させます。

すべての思考や感情はあなたではなく、ただ流れの中の対象物のように、通り過ぎているだけであることに気づきます。

あなたはそれらとは別です。あなたは土手にいる見張り人です。

これが、仏陀が「正しい想起」(正念)、マインドフルネス、あるいはサマサティと呼ぶものです。

あなたは「OSHOクンダリーニ」や「アルファ瞑想(The Alpha Meditation)」の第3ステージでこれを練習できます。

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[1] ‘Osho Times' Dr Jerome Liss
「Osho Times」ジェローム・リス博士