私たちのヴィジョンは、自分や他の人たちが生と死の両方を意識的にまた祝う心で生きるのを手伝うことです。

この目的のために、私たちはワークショップ、イベント、セッション、その他のオンライン資源を提供します。そのすべては基本的に現代の神秘家であるOSHOによって開発され利用できるようになった瞑想技術に基づいています。

私たちの目的は、心身の生と死が自然のサイクルであり、私たちの真のアイデンティティである意識は永遠であるという現実への気づきと理解をもたらすのを手伝うことです。これは信念ではなく、自らの個人的瞑想体験をつうじてのみ達成できる理解です。これを知ることによって、私たちは生きることと死ぬことの両方において自由と平安を体験できるようになります。またこの理解こそが、私たち自身が死んでいくときに持つことができる、そしてまた末期段階にある人々に私たちが提供できる最も重要なサポートです。

これまで私たちは、ワークショップ、トレーニングおよびセッションを、イギリス、アメリカ、スカンジナビア、イスラエル、イタリア、フランス、インド、オランダ、ルーマニア、トルコ、オーストラリア、ニュージーランド、中国、そして日本で提供してきました。私たちはまた、多くの人々がオンラインサービスを利用することでアクセスできて、ダウンロードもできるワークショップやイベント、また書籍やガイド付き瞑想などのオーディオ製品の提供も意図しています。

私たちの仕事の仕方をより深くご理解いただくには、OSHOサマサティ・アプローチをご覧ください。

マニーシャは死にゆく人のプロセスのサポートだけでなく、ほとんどのワークショップをファシリテートし、カウンセリングや瞑想に関する個人セッションも提供しています。また、このサイト上の記事やコンテンツの大部分を執筆しています。

マニーシャは、助産師と精神科の看護師のバックグラウンドを持ち、心理療法士、瞑想のファシリテーターでもあり、インドの神秘家Oshoの晩年の15年の間、彼のそばで過ごしました。

Oshoによって編集長に任命された彼女は、70年代半ばより彼の瞑想技法を試す「実験台」でもありました。

Oshoが毎日聴衆の前で行った講話の質問の朗読者として、世界的に有名な彼女は、Oshoみずから自分のワークの「歴史的文献」と述べた三部作
OSHO:The Buddha for the Future(OSHO:未来のための覚者);
OSHO:Twelve Days that Shook the World(OSHO:世界を揺るがした12日間); OSHO:One Man Against the Whole, Ugly Past of Humanity(OSHO:人類の醜い過去のすべてに逆らったある男)
の著者であり、自身のガイド瞑想CDも何枚か制作しています。

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最近では、生と死のための瞑想的プロセス「OSHO Bardo」を共同制作しています。
1980年代ロンドンでアンナ・フロイトと出会い、彼女の最期の瞬間に居合わせたことが、マニーシャの大きな転機となりました。

瞑想は生きる上でのあらゆる側面に役立つという従来の関心に加え、その経験をつうじて、死にゆくプロセスにおいての潜在的可能性を見たのです。これが、彼女の情熱となりました。

マニーシャはワークショップだけではなく、死に直面するさまざまな人々に働きかけ、死へと移行するプロセス全体でスピリチュアルかつ心理的なサポートを提供しています。


クライアントに働きかけるマニーシャのビデオクリップ「死との対話」(6分)

彼女はOSHOサマサティのアプローチを、瞑想を通して、死に関する誤解や恐れを解消する方法ととらえています。

私たちは恐れることなく、より大きな気づきとともに人生の終わりに向き合うこともできるのです。自然な過程として、変容へのチャレンジと美しさと可能性を備えたものとして、そしてお祝いとして、死を体験することもできるのです。

彼女の情熱はそれにとどまりません。いのちあるもの、動物(とくに犬)や自然を深く愛しています。
マニーシャはロンドンを拠点に、世界中を旅しながら、瞑想に関するワークショップやイベントを開催しています。また個人セッションも提供しています。

参加者の感想

4月にBuckland-on-the-Moorで開催されたワークショップ「瞑想的な死のためのサポート」に参加することができ、感謝でいっぱいです。ただもう素晴らしかったです。

起こっていることの体験を、本当に深めてくれましたし、深く深くへとただ落ちていくという新しいやり方の味わいを受け取ることができました。

感謝を伝えるのがこんなに遅くなったのは、2、3日後に熱が出て、しばらくかなりつらかったからです。でも今はだいぶ良くなって、素晴らしい春の日差しのもとでただ座ることができるのが、本当にありがたく感じられます。かなり弱っている感じがあっても、ただ手放すことができるのです。まだ痛みや痛みへの恐怖でもがいていますが、それに対して使える道具をたくさん与えてくださったことに感謝しています。

あなたは素晴らしい仕事をしていますね、マニーシャ - ありがとう。
(Diana Brueton)
私は20年以上の経験を持つ緩和ケア医で、命に関わる病気を抱えた患者のケアをしています。とくに、死にゆく人へのホリスティックなケアに興味があります。こうした理由から、死に向き合う人とその家族や介護者にとって難問となりがちな、心理的かつスピリチュアルな課題、実存的な課題の助けとなる手段を探求し、模索してきました。

こうしたところから、私は最近(2010年5月16日)、マニーシャ・ジェームズがファシリテートする「死を迎えるための瞑想的アプローチ」というワークショップを開催しました。ワークショップは体験的なもので、そのために参加人数には限りがあり、カウンセラー、ソーシャルワーカー、学校教師、ヨガインストラクター、それと私の12人でした。

ワークショップには少しばかり講義の要素があり、おもな内容はディスカッションと瞑想でした。ディスカッションでは、死についての恐怖と、瞑想がその恐怖にどう対処しうるのかが焦点となりました。

瞑想のセッションは、マインドがなぜ「手放す」ことをむずかしいと感じるのかを理解する役に立ちました。これは、緩和ケアの状況でよく見られるように、恐怖でいっぱいな場合にはとくに当てはまることです。

こうした恐怖は、死を迎える際の平安を困難にするだけでなく、生きている間に人々が切に求める平安をも阻害します。最後の瞑想セッションでは、生から死への穏やかな移り変わりを探求しつつ、より深く死の体験のなかへと入っていきました。

ディスカッションや瞑想では、脅威を感じることなく、背中を押される感じがありました。これは長年のワークショップで得てきたマニーシャの感性や思いやりによるところが大きいです。

マニーシャには、一般および精神科の看護師、そして助産師のバックグラウンドがあり、最近2年間の心理療法の研究を終えました。

さらに、長年スピリチュアルなマスターの下で学んできています。過去20年以上の間、彼女は西洋の共同体で生活し、教鞭をとり、自分が得た知識と知恵を現代西洋社会に適合させています。

ワークに大きな意欲と情熱を持っているマニーシャ、私は心から彼女と彼女のワークを推薦したく思います。
(Michael Barbato、緩和ケア医、オーストラリア)
まず、あなたのワークショップ「死を迎えるための瞑想的アプローチ」に参加できたことは大きな恩恵だったと知っていただけたらと思います。

本当に、瞑想の道を歩み続けるためのインスピレーションをもらいました。私はいつでも、これが真実だと知りながらも、苦闘しつづけてきたのです。

自分の人生のあらゆる場面(おもに仕事以外)で瞑想を実践してきました。日曜日は献身的なハートのための日でした。瞑想こそが人生で直面するたくさんの問題の答えであり、我が家へと帰る道なのだとわかりました!

私は今、ときどき緩和ケアのボランティアをしています。「それはどんな感じでしたか? それはあなたには、どう感じられましたか?」という質問を続ける方法は役立ちました。

瞑想のプロセスは、普通の状況だけでなく、緩和ケアの状況でとてもとても役立つものだと実感しています。あなたの瞑想がとても役に立つとわかったので、[ガイド瞑想の] CDを2、3枚必ず手に入れようと思います。

マニーシャ、あなたの熱意を称賛します。概してオーストラリア人はヨーロッパや東洋の世界ほど、こうした事柄にはオープンではありませんが、あなたのワークショップは、あなたの豊かな知識にもっとも恩恵を受ける人々にきっと届く道を見出すことでしょう。
最後にもういちど、ありがとう。
平安とともに
(Zoe Krone)


[ワークショップ]をありがとう。同じ言葉を話す、似た魂とともにいるのは、とても素敵なことでした。私にとってのハイライトは、瞑想での手放しの体験と、死にゆく過程での手放しの体験が、同じものだとわかったことでした。

6年あまり瞑想してきましたが、死への完全な恐怖が、恐怖以外に恐れるものはないという理解へと移行しました。それは、けっして変わることのない私自身の永遠のプレゼンスを感じる経験からやってきたのです。

もし私たちが毎日、生きながら死ぬことを学ぶことができれば--それは、毎日瞑想の中で、身体と、それが果たしている役割と責任へと手放すということですが--私たちは毎日、自分の役割を十分に果たしながら、これほどのストレスや悲しみを背負うことなく、もっと生き生きと生きることができるのです。

ワークショップは、死にゆく人々を介護する人たちだけでなく、誰にとっても貴重なものだと思います。
ワークの成功をお祈りしています。
心をこめて
(Julie)


OSHOサマサティ:死ぬこと - これまでとはまったく違う意味での! もし死が恐ろしいものでなくなったらどうでしょう? もし他のあらゆる旅行と同じように、それに向けて準備する方法があるとしたら? もしあなたやあなたの愛する人々が、単に心安らかにだけでなく、喜びに満ちて死ぬことができるとしたら?

良い知らせは、現在私たちの多くが死に対する見方を考え直しつつあるということです。私たちは、死について知ろうとすることが a)不健全な、b)生命に反する、c)死を近づけてしまうもの、という観念に疑問を呈しています。

OSHOサマサティの見解は、(イギリスの終末医療運動の創設者デイム・セシリ・ソーンダーの言葉を借りれば)死ぬことは生まれてくることと同じように自然なことだ、ということです。そして、現代の神秘家Oshoの言葉によれば、私たちは全員、自分自身の死をはらんでいるのです。

私たちのアプローチは次のようなものです。もし死が避けられないもので、それが何らかの恐れや不安を提起すると知っているのなら、死がそこにあることを受け容れて、それがどういうものなのかを、なぜ今知ろうとしないのか、ということです。最期の息を引き取るまでその準備を延期するのは、すでに空中に放り出されてからパラシュートを縫うようなものです。あるいは出産前クラスに出席する決断を、赤ん坊が生まれる直前まで待つようなものです!

興味深い事実は、死というテーマを深く探求すればするほど、あなたはより生き生きと感じることです。ますます多くの人々が自分の最後の数ヶ月や最後の日々についての本を出版しています。彼らは、「そうだ、私は死に向かっているのだ」と認めたとき、人生への評価が質的に変化すると言います。

こんなふうに言ってみましょう。自分に残された時間が限られたものであることを知ると、自分が持っている一瞬一瞬をかつて経験したことがないほどに大切にするというのです。自分にはもう未来がないこと、いかなる瞬間にも人生が終わりかねないと認めることは、あなたをたった今存在するものに突き動かします。時間は拡大します。あなたはくつろぎ、自分が誰であるかについてのより広い感覚を発見します。あなたは情熱をもって生きはじめ、おそらくかつて経験したことのないほどの強烈さで愛しはじめます。

彼らはこのように書いています。死に向かっている人々、自分が愛する者たち全員に別れを言わなければならない人々、自分が知っていた人生に別れを告げなければならない人々は、自分の運命を最後に観念しているのではなく、単なる受容ではない歓喜の状態に達しているのだと。

それが自分の生き方の香りになっているとき、最後の息を引き取るとき、あなたは騒ぐことなく……安らかに、喜びと感謝さえ抱きながら、それを手放すことができるのです。

ここにもうひとつ興味深い事実があります。そのくつろいでいて、その瞬間に完全にまた最大限に気づいている状態、時間が拡張し、自分に対する感覚が変化し、つながりの感覚が増大し、生き生きとまた歓喜に満ちている状態は、私たちの多くが瞑想をつうじて味わうものそのものなのです! 瞑想は生きることだけでなく、死ぬことに対しても自然なルートです。

OSHOサマサティの提案



私たちのところには、意識的に生き、意識的に死ぬことを支援するための、またあなたが愛する人々を従来とは異なる死に方ができるように支援するための、多くの情報資源があります。私たちが提供するものの本質的な鍵は、「サマサティ」の意味のなかにに具現化されています。あなたがどこにいようと、また何を経験していようと、その鍵は誰にでも適合します。

サマサティとは「正しく想起すること」を意味します。その「正しく想起する」とは、私たちが単なる肉体と精神以上のものであること、私たちとは気づきつまり意識であることを思い出すことです。正しく想起するとは、観察している空間、肉体のたえず変化する感覚と心の思考や感覚にただ気づいている観察の空間に同調することです。これこそが瞑想の本質です。

瞑想は、あなたが属する宗教が何であるとか、何でないとかに関係なく、誰もが利用することができます。私たちはそれをどんな信念にも帰属させません。OSHOビジョンはあなたに神秘家の叡智と体験を提供します。それは使うための洞察であり、Osho自身の言葉では単なる「作業仮説」です。私たちは個人的体験と、それが不可避的に与える理解を支援します。ですから、私たちのワークショップは理論的というよりは、むしろ体験的です。

私たちの見るところ、私たちが他の人々に(その人たちの生き方や死に方に対して)提供するサポートは、それが私たち自身の体験の産物である以上、質的に異なるものにならざるをえないということです。それは私たちが沈黙の空間と手放しを探求したときの体験であり、また私たちが内面に向かい、より深く入る方法を学んでいるときにその途上に何があるかを理解したときの体験だからです。ですから私たちがお薦めするのは、一人ひとりが瞑想実践に深く習熟し、適切なワークショップを通じて、自分にとって自分が死ぬとは何を意味するのかを探求する機会を見いだすことなのです。



私たちのワークはインドの神秘家であり導師であるOshoのビジョンによって啓示を受けています。Oshoについてはここで詳しく読むことができます。(OSHOについて

Oshoビジョンの基本的前提は瞑想 - 私たちの内なる実在を深く熟知すること - と人生が提供するすべてを喜んで受け入れ、お祝いすることです。一言で言うなら、快楽主義者の権化『その男ゾルバ』の愛と喜びとダンスに、覚者(ブッダ)の意識的気づきを結びつけた「ゾルバザブッダ」です。死ぬことは生に本来的に内在している生の一部です。そして全面性と喜びと意識をもって生きることこそが、死ぬことのまさに最善の準備なのです。死とは災厄ではなく贈り物であり、意識的に生きたとき、死は人生の絶頂なのです。

Oshoはこのことを次の短いビデオクリップで要約しています。

生きることと死ぬことについてのOshoのビジョン

Osho’s Vision of Living and Dying



「私のワークはあなた方にいかに生き、いかに死ぬかを教えること、いかに喜び、いかに悲しむかを教えることから成る。青春をいかに楽しみ、老年をいかに楽しむか。健康をいかに楽しみ、病気をいかに楽しむかを教えることだ。」

「もし私があなたにいかに健康を楽しむか、いかに人生を楽しむかだけを教えて、その他の部分を無視したとしたら、私はあなたの中に、ある分割を、ある分離を生むようなことを教えていることになる。私はあなたに存在の全面性を教える。」

「所有しないことだ。何も持たないこと、そして執着しないことだ。ものごとが来ては去るのにまかせなさい。ものごとが自分の中を通り過ぎていくのを許しなさい。そしてあなたはつねに傷つきやすく開いているのだ。そうすればそこに大いなる美、大いなる優美さ、大いなる歓喜がある。あなたの悲しみは、あなたの喜びと同じように、あなたに深みをもたらす。あなたの死は、人生そのものと同じほどに、あなたに大いなる贈り物をもたらす。そのとき人はこの存在全体が自分のものだと知る。夜も昼も、夏も冬も、すべてが自分なのだ。傷つきやすく、開いたまま、寛いだままいることで、あなたは主人になる。」

「学ぶべき最大のことは、どんなものにもしがみつかないことだ。愛にも、喜びにも、自分の身体にも、自分の健康にも。すべてを楽しむがいい - あなたの健康、あなたの肉体、あなたの愛、あなたの彼女または彼を - しかし執着しないことだ……。もし何かが手に入るのなら、それを楽しみなさい。それが消えるときには、感謝をもって消えさせなさい。それがあなたにしてくれたすべてに感謝して、どんな不平もどんな不満ももたずに。そうすればあなたは生と死の両方、光と闇の両方、存在と非存在の両方の最大の喜びを知ることになる。」

OSHO『The Dhammapada: The Way of the Buddha』第7巻


Oshoのビジョンは教義や教理をもたず、そこに信者や追従者のための場所はありません。もし、あるOshoの洞察や提案に魅力を感じたら、あなた自身の体験がそれを裏づけるか、またはあなたに別の理解をもたらすまで、それを作業仮説として受け取ってください。私たちはそれぞれに、自分独自の大人になるための道を創造する必要があります。つまり、全面的に意識的になるということです。

このウェブサイトにある多くの瞑想法は、Oshoによって開発または提案されたものです。

これらの瞑想は、ヴィパサナ瞑想で静かに座ることから、人々が加速する現代生活のペースや先入観に対応するのを助けるためにOshoが開発した多くの動的瞑想まで、広範囲にわたっています。これらの瞑想 - それは今後も追加されていきます - は瞑想インデックスで見つけられます。




「OSHOバルド」について

「OSHOバルド」瞑想は、死のプロセスにある自分や他者を瞑想によって探求する機会です。

私たちにとっての最大の恐怖は、生きることや死ぬプロセスにおいて、自分を手放すことに関係しています。

新たに開発された「OSHOバルド」瞑想法は、自分の人格を超えて、また肉体とマインドを超えた、自分が誰なのかを発見することができます。

その実在ー「サマサティ」ーを覚えていることこそが、優雅に喜びと感謝をもって、死ぬことへと手放していくための鍵です。
その鍵を手に入れることができれば、死ぬことは、不幸ではなく、お祝いであることが理解できるのです。

これは、自分が誰なのか、死とは本当は何を意味するのかを理解するための瞑想です。

Oshoの『死について 41の答え』は、意識的に祝うこころで生き、そして意識的に死ぬという、新しい生き方と死に方に関する彼のビジョンの多くを説明しています。

「OSHOバルド」を毎日の生活のなかで実践することは、私たちの生き方に影響を及ぼし、私たちが死ぬプロセスに親しむことができるようになるでしょう。そうすれば、そのときが来たとき、私たちは死を歓迎し、そのなかにくつろぐことができるのです。

OSHOバルドのガイド瞑想は、こちらからダウンロードできます。
https://apple.co/3riJbRC


さらに詳しい情報について


Oshoについてのさらに詳しいことは www.osho.com で、インドのプネーにあるOSHOインターナショナル・メディテーション・リゾートについて学んでください。もし他のOsho瞑想、イベント、グループなどに参加なさりたい場合は、世界中にあるたくさんのOSHOセンターが、あなたの訪問をお待ちしています。

オンラインアーカイブ(http://www.osho.com/library)は、Oshoの言葉を無料で読める情報源です。その他にも、あなたが自分で探求したり、瞑想に興味をもつどなたにでも薦められる、たくさんの瞑想関連記事があります。特に初めての人に役立つのは、メンターズチャネルの無料の21日間のOsho入門です。

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