私たちのヴィジョンは、自分や他の人たちが生と死の両方を意識的にまた祝う心で生きるのを手伝うことです。

この目的のために、私たちはワークショップ、イベント、セッション、その他のオンライン資源を提供します。そのすべては基本的に現代の神秘家であるOSHOによって開発され利用できるようになった瞑想技術に基づいています。

私たちの目的は、心身の生と死が自然のサイクルであり、私たちの真のアイデンティティである意識は永遠であるという現実への気づきと理解をもたらすのを手伝うことです。これは信念ではなく、自らの個人的瞑想体験をつうじてのみ達成できる理解です。これを知ることによって、私たちは生きることと死ぬことの両方において自由と平安を体験できるようになります。またこの理解こそが、私たち自身が死んでいくときに持つことができる、そしてまた末期段階にある人々に私たちが提供できる最も重要なサポートです。

これまで私たちは、ワークショップ、トレーニングおよびセッションを、イギリス、アメリカ、スカンジナビア、イスラエル、イタリア、フランス、インド、オランダ、ルーマニア、トルコ、オーストラリア、ニュージーランド、中国、そして日本で提供してきました。私たちはまた、多くの人々がオンラインサービスを利用することでアクセスできて、ダウンロードもできるワークショップやイベント、また書籍やガイド付き瞑想などのオーディオ製品の提供も意図しています。

私たちの仕事の仕方をより深くご理解いただくには、OSHOサマサティ・アプローチをご覧ください。



OSHOサマサティ:死ぬこと - これまでとはまったく違う意味での! もし死が恐ろしいものでなくなったらどうでしょう? もし他のあらゆる旅行と同じように、それに向けて準備する方法があるとしたら? もしあなたやあなたの愛する人々が、単に心安らかにだけでなく、喜びに満ちて死ぬことができるとしたら?

良い知らせは、現在私たちの多くが死に対する見方を考え直しつつあるということです。私たちは、死について知ろうとすることが a)不健全な、b)生命に反する、c)死を近づけてしまうもの、という観念に疑問を呈しています。

OSHOサマサティの見解は、(イギリスの終末医療運動の創設者デイム・セシリ・ソーンダーの言葉を借りれば)死ぬことは生まれてくることと同じように自然なことだ、ということです。そして、現代の神秘家Oshoの言葉によれば、私たちは全員、自分自身の死をはらんでいるのです。

私たちのアプローチは次のようなものです。もし死が避けられないもので、それが何らかの恐れや不安を提起すると知っているのなら、死がそこにあることを受け容れて、それがどういうものなのかを、なぜ今知ろうとしないのか、ということです。最期の息を引き取るまでその準備を延期するのは、すでに空中に放り出されてからパラシュートを縫うようなものです。あるいは出産前クラスに出席する決断を、赤ん坊が生まれる直前まで待つようなものです!

興味深い事実は、死というテーマを深く探求すればするほど、あなたはより生き生きと感じることです。ますます多くの人々が自分の最後の数ヶ月や最後の日々についての本を出版しています。彼らは、「そうだ、私は死に向かっているのだ」と認めたとき、人生への評価が質的に変化すると言います。

こんなふうに言ってみましょう。自分に残された時間が限られたものであることを知ると、自分が持っている一瞬一瞬をかつて経験したことがないほどに大切にするというのです。自分にはもう未来がないこと、いかなる瞬間にも人生が終わりかねないと認めることは、あなたをたった今存在するものに突き動かします。時間は拡大します。あなたはくつろぎ、自分が誰であるかについてのより広い感覚を発見します。あなたは情熱をもって生きはじめ、おそらくかつて経験したことのないほどの強烈さで愛しはじめます。

彼らはこのように書いています。死に向かっている人々、自分が愛する者たち全員に別れを言わなければならない人々、自分が知っていた人生に別れを告げなければならない人々は、自分の運命を最後に観念しているのではなく、単なる受容ではない歓喜の状態に達しているのだと。

それが自分の生き方の香りになっているとき、最後の息を引き取るとき、あなたは騒ぐことなく……安らかに、喜びと感謝さえ抱きながら、それを手放すことができるのです。

ここにもうひとつ興味深い事実があります。そのくつろいでいて、その瞬間に完全にまた最大限に気づいている状態、時間が拡張し、自分に対する感覚が変化し、つながりの感覚が増大し、生き生きとまた歓喜に満ちている状態は、私たちの多くが瞑想をつうじて味わうものそのものなのです! 瞑想は生きることだけでなく、死ぬことに対しても自然なルートです。

OSHOサマサティの提案



私たちのところには、意識的に生き、意識的に死ぬことを支援するための、またあなたが愛する人々を従来とは異なる死に方ができるように支援するための、多くの情報資源があります。私たちが提供するものの本質的な鍵は、「サマサティ」の意味のなかにに具現化されています。あなたがどこにいようと、また何を経験していようと、その鍵は誰にでも適合します。

サマサティとは「正しく想起すること」を意味します。その「正しく想起する」とは、私たちが単なる肉体と精神以上のものであること、私たちとは気づきつまり意識であることを思い出すことです。正しく想起するとは、観察している空間、肉体のたえず変化する感覚と心の思考や感覚にただ気づいている観察の空間に同調することです。これこそが瞑想の本質です。

瞑想は、あなたが属する宗教が何であるとか、何でないとかに関係なく、誰もが利用することができます。私たちはそれをどんな信念にも帰属させません。OSHOビジョンはあなたに神秘家の叡智と体験を提供します。それは使うための洞察であり、Osho自身の言葉では単なる「作業仮説」です。私たちは個人的体験と、それが不可避的に与える理解を支援します。ですから、私たちのワークショップは理論的というよりは、むしろ体験的です。

私たちの見るところ、私たちが他の人々に(その人たちの生き方や死に方に対して)提供するサポートは、それが私たち自身の体験の産物である以上、質的に異なるものにならざるをえないということです。それは私たちが沈黙の空間と手放しを探求したときの体験であり、また私たちが内面に向かい、より深く入る方法を学んでいるときにその途上に何があるかを理解したときの体験だからです。ですから私たちがお薦めするのは、一人ひとりが瞑想実践に深く習熟し、適切なワークショップを通じて、自分にとって自分が死ぬとは何を意味するのかを探求する機会を見いだすことなのです。



私たちのワークはインドの神秘家であり導師であるOshoのビジョンによって啓示を受けています。Oshoについてはここで詳しく読むことができます。(OSHOについて)

Oshoビジョンの基本的前提は瞑想 - 私たちの内なる実在を深く熟知すること - と人生が提供するすべてを喜んで受け入れ、お祝いすることです。一言で言うなら、快楽主義者の権化『その男ゾルバ』の愛と喜びとダンスに、覚者(ブッダ)の意識的気づきを結びつけた「ゾルバザブッダ」です。死ぬことは生に本来的に内在している生の一部です。そして全面性と喜びと意識をもって生きることこそが、死ぬことのまさに最善の準備なのです。死とは災厄ではなく贈り物であり、意識的に生きたとき、死は人生の絶頂なのです。

Oshoはこのことを次の短いビデオクリップで要約しています。

生きることと死ぬことについてのOshoのビジョン

Osho’s Vision of Living and Dying



「私のワークはあなた方にいかに生き、いかに死ぬかを教えること、いかに喜び、いかに悲しむかを教えることから成る。青春をいかに楽しみ、老年をいかに楽しむか。健康をいかに楽しみ、病気をいかに楽しむかを教えることだ。」

「もし私があなたにいかに健康を楽しむか、いかに人生を楽しむかだけを教えて、その他の部分を無視したとしたら、私はあなたの中に、ある分割を、ある分離を生むようなことを教えていることになる。私はあなたに存在の全面性を教える。」

「所有しないことだ。何も持たないこと、そして執着しないことだ。ものごとが来ては去るのにまかせなさい。ものごとが自分の中を通り過ぎていくのを許しなさい。そしてあなたはつねに傷つきやすく開いているのだ。そうすればそこに大いなる美、大いなる優美さ、大いなる歓喜がある。あなたの悲しみは、あなたの喜びと同じように、あなたに深みをもたらす。あなたの死は、人生そのものと同じほどに、あなたに大いなる贈り物をもたらす。そのとき人はこの存在全体が自分のものだと知る。夜も昼も、夏も冬も、すべてが自分なのだ。傷つきやすく、開いたまま、寛いだままいることで、あなたは主人になる。」

「学ぶべき最大のことは、どんなものにもしがみつかないことだ。愛にも、喜びにも、自分の身体にも、自分の健康にも。すべてを楽しむがいい - あなたの健康、あなたの肉体、あなたの愛、あなたの彼女または彼を - しかし執着しないことだ……。もし何かが手に入るのなら、それを楽しみなさい。それが消えるときには、感謝をもって消えさせなさい。それがあなたにしてくれたすべてに感謝して、どんな不平もどんな不満ももたずに。そうすればあなたは生と死の両方、光と闇の両方、存在と非存在の両方の最大の喜びを知ることになる。」

OSHO『The Dhammapada: The Way of the Buddha』第7巻


Oshoのビジョンは教義や教理をもたず、そこに信者や追従者のための場所はありません。もし、あるOshoの洞察や提案に魅力を感じたら、あなた自身の体験がそれを裏づけるか、またはあなたに別の理解をもたらすまで、それを作業仮説として受け取ってください。私たちはそれぞれに、自分独自の大人になるための道を創造する必要があります。つまり、全面的に意識的になるということです。

このウェブサイトにある多くの瞑想法は、Oshoによって開発または提案されたものです。

これらの瞑想は、ヴィパサナ瞑想で静かに座ることから、人々が加速する現代生活のペースや先入観に対応するのを助けるためにOshoが開発した多くの動的瞑想まで、広範囲にわたっています。これらの瞑想 - それは今後も追加されていきます - は瞑想インデックスで見つけられます。


さらに詳しい情報について


Oshoについてのさらに詳しいことは www.osho.com で、インドのプネーにあるOSHOインターナショナル・メディテーション・リゾートについて学んでください。もし他のOsho瞑想、イベント、グループなどに参加なさりたい場合は、世界中にあるたくさんのOSHOセンターが、あなたの訪問をお待ちしています。

オンラインアーカイブ(http://www.osho.com/library)は、Oshoの言葉を無料で読める情報源です。その他にも、あなたが自分で探求したり、瞑想に興味をもつどなたにでも薦められる、たくさんの瞑想関連記事があります。特に初めての人に役立つのは、メンターズチャネルの無料の21日間のOsho入門です。

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